「伝説紀行」製作過程を紹介!
ドリームFM(久留米市)放送は、2007年3月3日から5日間、「筑紫次郎の伝説紀行」など、古賀 勝の活動を紹介しました。番組は、フリーアナウンサーの江口なおさん(上写真)がインタビューする方式で収録されました。
収録日:2008年2月28日
収録場所:ドリームFM本社スタジオ
放送:76.5MHZ
ドリームFM放送、インタビュー番組(要旨)
1日目
アナ)最初に、古賀さんの現在やってる活動を聞かせてください。
古賀)10年前にサラリーマンを卒業後は、主に次の3つを活動の柱にしています。
先ず第1は、筑後川・矢部川・嘉瀬川流域に伝わる民話(主に伝説)を収拾し、「筑紫次郎の伝説紀行」の表題でインターネット発信をしています。
2番目は、2000年に出版した「大河を遡る/九重高原開拓史」をもとに、筑後地区に住む皆さんと筑後川の源流域(大分県九重町千町無田)に住む方々との交流を促進させるお手伝いです。
そして最後に、ふるさと久留米の幕末から明治にかけての商業の歴史の掘り起こしに取り組んでいます。
これらは、ふるさと筑後(久留米)と筑後川流域の歴史の重みと豊かさを、多くの住民や遠隔地に住む同胞に理解してもらうための活動だと考えています
アナ)古賀さんが勤めておられた会社の名前は。それから、それぞれの活動について、もう少し具体的に。
古賀)まず第1の「伝説紀行」についてです。筑後川・矢部川・嘉瀬川の流域面積を合計すると、約3800kM2に及びます。古代からの人の営みがあった場所には必ずと言っていいほどに“伝説”が存在します。それらの口承文化を拾い集めて検証し、作文してホームページで発信することです。現在までに、流域のほとんどの地域から328話を集めて発信しました。
広大な流域に328個の足跡を残したことを考えると、感無量です。
これらの活動は、主要新聞やテレビなどで紹介され、西日本新聞(72回)、毎日新聞(100回)の連載もありました。
地元はもちろん、全国各地からたくさんのお便りをいただくことが、活動の励みになっています。
第2の「九重高原」では、明治期の筑後川洪水と農民の苦悩、更に新天地を求めた彼らの夢と現実の厳しさに、多くの方々から共感をいただきました。映画化実現など、もっと広く、多くの人たちに知って欲しい筑後の歴史です。
第3の「商業史」は、幕末における井上伝女の久留米絣と明治期に入ってからの小川トクの久留米縞の普及等、更にこれら織物を全国的に広めていった国武喜次郎や本村庄平など、織り手と商人が一体となって久留米商業の基礎を築いた歴史を掘り起こす活動です。倉田雲平の槌屋足袋(後の月星化成−ムーンスター)や石橋徳次郎の志まやたび店(後の日本ゴム・BSタイヤ)などとあわせて、講演活動などで研究発表を重ねてきました。
アナ)最後に、古賀さんのお好きな歌を教えてください。
古賀)青春時代から口ずさんできた春日八郎の「別れの一本杉」をお願いします。
アナ)ありがとうございました。明日もよろしくお願いします。
2日目
アナ)今日は、古賀さんの子供の頃の話を聞かせてください。
古賀)生まれは1938年ですから、終戦の年が小学校に上がった年になります。久留米の荒木の駅前で生れ育ったのですが、機銃掃射の弾の隙間を潜って学校に通ったこと、戦後の飢えに苦しんだことなどを経験しています。
そんな中で、中学校時代は陸上競技に精を出しました。
朝暗いうちから起きだして、舗装のないデコボコ道を走ります。久留米の街から汲みだした人糞を積んだ馬車とすれ違う時の臭かったこと。腹が減っては戦はできないと、学校の敷地内で栽培したさつま芋を食べ、おならを吹かしながら走ったことなどが思いでです。お陰さまで、私らの学校は県内一番の成績を残すことができました。
アナ)高校は。
古賀)当時実業学校である久留米商業に行くということは、大学受験を諦めることでもありました。そこで、青春を思い切り楽しみたいと、陸上競技はきっぱりやめて、応援団に入りました。全国のトップレベルにあった野球や柔道などの応援のために、各地を“転戦”しました。甲子園にも出かけましたが、1回戦敗退で、早々に引き揚げてきました。
この時大阪という大都会に触れ、その後の自分の気持ちをリードすることになります。
アナ)面白い話を聞かせていただきました。明日もよろしくお願いします。それでは、古賀さんのリクエスト曲をどうぞ。
古賀)カラオケではこの歌以外歌ったことがないくらいに好きな、ペギー葉山の「南国土佐をあとにして」をお願いします。
3日目
アナ)高校を卒業してから…
古賀)当時のラジオ九州、現在のRKB毎日放送に入社しました。華やかなサラリーマン生活を夢見ていたのですが、配属されたのは経理部という事務職場です。
3年後には、自ら希望して東京支社に転勤となりました。典型的なおのぼりさん志向です。上京したのが1960年の春でしたから、まさしく安保闘争のど真ん中でした。職場が銀座や国会に近いこともあって、目の当たりに展開される激動の社会に目を見張ったものです。
それでも、おのぼりさんはちゃっかり“東京見物”に明け暮れていました。出来立ての東京タワーに上ったり、浅草ロック街をカッポしたり、今思えば恥ずかしい限りです。
アナ)そんな中で、現在に繋がることを体験された…
古賀)民間放送の東京支社ということで、全国から同じ立場の若者が東京に集まってきます。東京局の者も含めて、酒を飲みながらのお国言葉による語らいが続きました。話の行きつく先はどうしても“お国自慢”となります。北海道の大自然を自慢するもの、四国の坂本竜馬を持上げる人などそれぞれです。
その時、私だけはどうしても会話に乗り遅れてしまいます。あんなに広い穀倉地帯を持っているのに、九州一の大河で産湯を浸かったのに、それらが自慢話になりきれないのです。ふるさとに対する認識や実感不足を知らされた時でした。
アナ)そのことが、現在の伝説紀行や「九重高原開拓史」の活動に結びついているのですね。
古賀)そのとおりです。今度福岡に戻ったら、ふるさとのすべてを初めから見直そうと考えました。定年まで数年を残すところで、久留米支社勤務を言い渡されたのが幸いしました。筑後川をテーマにしたラジオドラマ「筑紫次郎むかし物語」を企画し、プロの作家と役者を駆使してのドラマ作りに励みました。制作費の工面からネタ(民話)探しまで大忙しでしたが、多くの先生や仲間たちに援けられて、102回も放送することができました。
その時の各地訪問が、筑後民の九重高原開拓史を生み出し、これまた芸術祭参加までこぎつけたのです。
アナ)今日はこのへんで。明日もよろしくお願いします。それでは、古賀さんのリクエスト曲をどうぞ。
古賀)美空ひばりの「越後獅子の歌」をお願いします。ひばりさんとは同年代で、彼女が福岡の病院に入院したときなど、外から病室を見上げて、この歌を口ずさみました。
4日目
アナ)最近の、過ごし方や健康法を教えてください。
古賀)「週1」の伝説紀行をやり遂げるために、1週間を単位にしたサイクルで予定を立てます。会社定年後は、毎日が日曜日のようなものですから、やる気さえあればどんなことでも可能です。週に1回は取材とネタ探しに、流域内をドライブします。何せ広大な筑後・佐賀平野と阿蘇・九重の山中に足を運ぶのですから、時間はどんどん過ぎ去っていきます。
取材してきた話やデジカメ写真を整理して作文するのが、楽しくもあり苦しい時間帯でもあります。300話を超えてきて、3年前に発表した話の感想が届いたりすると、返事を書くために、改めて資料をめくりなおしたりもします。広辞苑や地名事典などと格闘する、そんなことが精神的な健康法にもなっているかもしれません。
その間に、頼まれた講演の準備や久留米商業史の掘り起こし、筑後川源流域への取材などが入ります。そうそう、孫と遊ぶ時間や妻との旅行も、欠かせない時間です。
アナ)取材していての楽しみ方をもう少し…
古賀)伝説は、教科書に記される歴史書とは違う、庶民の歴史です。狙いを定めて現地を訪れると、あるはずの目標物が見当たりません。現地の人に尋ねると、すぐ目の前の祠がそうであったりすることが多いのです。川辺や高台に立つと、1000年以上も昔に思いをいたらせます。紀元前の徐福さん(徐福渡来伝説)や卑弥呼などが目の前に現れたりします。古戦場跡に行けば、歴史書には出てこない、狩り出された農民やその家族の涙までもが伝わってくるのです。私たちの歴史は、決して天皇や公家、武士・僧侶だけで築かれたものではないことが、「伝説紀行」の舞台に立ってみて、鮮明に浮かび上がります。
アナ)ありがとうございました。それでは、リクエスト曲をどうぞ。
古賀)村田英雄の「人生劇場」を。男っぽいところが、自分の生き様の目標でもありましたから。
5日目
アナ)最終回になりましたが、あなたにとって、ふるさと久留米とは…
古賀)なんといっても生まれ故郷ですから…。産湯をつかわせてもらい、上級生にいろんな遊びを教わりました。生き方を学んだ原点は、なんといってもふるさとにあります。
大都会に憧れ、華やかな社会に心を奪われた青春時代でしたが、いつでもふるさと久留米が心の中にあり、ドベドベの久留米弁を忘れるわけにはいきませんでした。
でも、町中にシャッターの閉まった店が増え、水天宮の祭りが淋しくなり、ベットタウン化した久留米には、満足するわけにはいきません。
アナ)久留米は、どうなったらいいのですか。
古賀)全国から注目される個性ある町づくりが必要だと思います。久留米が全国に向けた文化の発信基地になったらいいなと思います。
アナ)これからの目標は。
古賀)せっせと伝説紀行を積み重ねていくことで、さらなる愛郷精神を充実させたいものです。
アナ)1週間、貴重なお話しをありがとうございました。それでは、最後のリクエスト曲をどうぞ。
古賀)東京で一番好きだった場所だったし、よく通った酒場があった有楽町。フランク永井の「有楽町で会いましょう」をお願いします。
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