単刀直入に、「死者の書」と「ピラミッド・テキスト」の違いを表記。
ピラミッド・テキスト | 死者の書 | |
登場年代 | 第五王朝 ウナス王のピラミッド (ただし成立自体はもっと以前) |
第二中間期 (内容はピラミッド・テキストから派生) |
主な内容 | オシリス神と一体化するための呪文、 ラーとなるため天へ昇る呪文 |
死者の国での暮らし、 ミイラを守る呪文 |
書かれた場所 | ピラミッド内部の石 | パピルス・ロール または木片 |
使用文字 | ヒエログリフ | ヒエラティック、デモティック |
呪文数 | 約760 | 200前後 |
番号を振った学者 | ゼーテ(K.Sethe) | レプシウス(K.R.Lepsius) |
時代 | 古王国時代 | 新王国時代以降 |
…と、表にしてしまうと、何だかあっけないが、要するに、両者に内容的な違いは、ほとんど無いのである。
ピラミッド・テキストとは、文字通り「ピラミッドの内部に書かれたもの」、死者の書は「パピルスの巻物に書かれたもの」。ピラミッドが作られていたのは中王国時代の前期まで。つまり、ピラミッドが作られなくなったために、呪文は、パピルスに書かれる「死者の書」へと変化したと言える。
ちなみに、棺に書かれた呪文は、「コフィン・テキスト(コフィンは棺のこと)」と呼ばれる。
死者の書に含まれる呪文は棺や副葬品に書かれることも多く、事実上、葬儀のための呪文の内容は、どこに書かれても根本的な違いは無いと言えよう。
ただ、見た目の違いというものは在る。
挿絵とともに壁に書かれた美しいピラミッド・テキストの写真は、エジプト関係の本にもよく載っていると思うが、これはすべてヒエログリフである。漆喰を塗った壁に描き付けるものであったため、パピルスに書くときのように崩し文字にはできなかったのだ。
なお、ピラミッド・テキストが見られるのは、第5、第6王朝時代の、9つのピラミッドだけである。
死者の書は新王国時代(第18王朝のもの)が、在発見されている最古の資料になる。
[木製の棺に描かれた死者の書]所蔵;ベルリン博物館 撮影;Kさん(Thanx!)
ピラミッド・テキストから死者の書に至るまでの間に、呪文の用途・用法には、ちょっとした変化がおきていた。
ピラミッドを作るには莫大な費用と権力が必要、というのは、感覚として分かると思う。ピラミッドを作れるのは、王か、王に順ずる地位にある人間だけだった。すなわち、ピラミッドに書かれる「ピラミッド・テキスト」は、限られた権力者だけのものだった。
しかしピラミッド時代が終わり、王も小規模な墓で満足するようになると、死者のための呪文は一般大衆にも広くいきわたるようになる。
かつては「死者の楽園にいけるのは、王だけ」だったのが、「庶民も神々と一体化して永遠の生を得られる」という方針に変わったのである。
とはいえ、呪文の基本的な部分は変わっていない。死者の書の中に一般市民が言うには尊大すぎるセリフがあるのは、おそらく、もともと王のためのものだった呪文をそのまま民間人用にしただけだからだろう。
また、呪文書の中には、文句が古い時代の信仰を表しているために、後世の人には意味がわからなかった部分や、あとから新しく付け足されたために、かつての信仰との食い違いが生まれてしまった部分などもある。
「死者の書」の内容は、「神様への賛辞」「お願い」といった語りかけ、「身を守るための呪文」、「シャブティ像を操る呪文」など、内容は実に幅広く奥が深い。
中でも身を守る呪文というのは、生きた人間が身を守るときのものとは違う。退けられるべきは「死者にとって脅威となるべきもの」、つまり、忘れ去られて供養されなくなること、墓が浸水して汚水にまみれること(何しろミイラは乾燥している)、死者の楽園に入れないこと、など。呪文の中では、そういったことが無きように、との願いが、繰り返し語られている。
ダイレクトに、「我、雷と大雨とを恐るる」なんてモノもある。
体が腐ってなくなっちゃうと、魂は帰るべき場所を失う。笑えるけど切実な呪文である。
だが、これらの呪文をフルに揃えられるのは、お金持ちだけだったようだ。
大半は、原本から必要な部分を抜き出して書かれるものだった。(日本のお坊さんが、膨大な経文の中から信者に必要な部分を筆写して渡すのと同じ要領だ。)
たいていの庶民は、必要と思われる部分だけを安くバラ売りで買い叩き、墓に収めることで満足していた。
「召し使い要らないからシャブティの章はやめとこう」とか、「うーん、この防水の呪文は別のとだいぶ被ってるから、いいか」とか、組み合わせを考えていたのだろう。…カーナビつけて中古車を買うか、ステレオ無くても新車で買うか、迷う現代人にも通じるものがある…。
さらに、空欄に自分のお名前を書き込めばオッケーなインスタント死者の書まで在ったというから驚きだ。よく通販なんかである、「書き込むだけで出来上がる遺書」みたいなノリだろうか?
ところで、その「死者の書」の値段なのだが・・・残念ながら、これは今ひとつはっきりしていない。何しろ古代エジプトには通貨が無いので、記録に残すとしたら物々交換の結果だけなのだ。パピルスそのものの値段でさえ、諸説ある。
確かなことは、「死者の書」の中にも、高級品と一般向け、さらに格安ものの区別があった、と、いうことだ。
薄くて白い紙は現代でも高級品ですが、当時のエジプトでもそうだったらしく、王族・貴族向けの「死者の書」は真っ白で薄い最高級のパピルスに書かれ、彩色も施されていたようです。対して庶民向けのは、あまり高価ではない紙に一部を抜書き。地獄ならぬ、下界の沙汰も金次第。
高級な紙のものになると、書記官の一か月分の給料の1/4もしたそうなのだ。高級な死者の書というのは、喩えるなら、図書館にしか置いてなさそうな立派な全集を全巻揃えるのと同じくらいのものだったんじゃないだろうか。「ま、いいや。安い文庫版ので」と、言いたくなるのも無理は無い。
なお、「死者の書」の原本は、主なもので三種類あったと予想されている。
それぞれ、「そのもの」が残っているわけではなく、残された断片から「おそらく、こういった原本があったのだろう」と推測されているに過ぎないのでご注意を。
ヘリオポリス・テキスト
太陽神ラーを主神とする、ヘリオポリスの神官たちによるもの。第5−6王朝時代、ピラミッド・テキストとしてピラミッド内部に書かれた、より古い時代の伝承を指す。
テーベ・テキスト
太陽神アメンを主神とする、テーベの神官たちによるもの。死者の書がパピルスに書かれ、大衆にも好んで用いられるようになった、第18王朝以後、およびテーベ王朝の流れを汲む第21、22王朝時代までのものを指す。
もっとも壮麗な時代の原本。
サイス・テキスト
末期の第26王朝時代、サイス近辺が王国の中心地となっていたときに作られた集大成。
プトレマイオス朝時代のものが多く、若干、信仰がローマ風味になって、呪文が新たに付け加えられている。
末期王朝時代は衰退しかけた古代エジプト王国の最後の一花時代なので、内容的には、古い時代のものと比べて格調高さや神秘さが失われているようにも思える。
以上。
このコーナーの和訳の原本には、第18-19王朝時代に書かれたもの、つまり「テーベ・テキスト」が使われている。
ピラミッド・テキストの和訳については、比較のため、ウナス王のものをこのコーナーの最後に一部を掲載しておいた。
ピラミッド・テキストは先に述べたように第5-6王朝のものなので、ヘリオポリス・テキストを底本にしているはずである。
和訳した結果だけで違いが分かるとも思えないが、それなりに楽しめるとは思う。