Last Update 2012/5/3

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「死者の書」の正式名称と資料について

書記の道具この書物の正式な名称を日本語に訳すると、「日下出現の書」、古代エジプト語では「ペレト エム ヘルゥ」と、いう名前である。日本語に直すとすると、「日<ラー>の元に出現するための書」、または「日<ラー>のように出現するための書」、と解釈できる。
(※古代エジプト語では、太陽のことも太陽神のことも”ラー”と呼ぶ。神は、それが象徴するものの化身でもあるからだ。)

前者のように訳すると、太陽神ラーに向けて送られる呪文という意味になるし、
後者だと、太陽のように、地平に沈んでも再び地平から蘇る、再生復活のための呪文という意味になる。

どちらがより正しいのかは分からない、とされているが、呪文の中身からするに、前者の「ラーに向けて送られる呪文」というのは番号の若い最初のほうにだけ、あてはまるように思う。残る部分は、ラーのように復活するための死後の世界の教義のように取れる。


この書物が、本来の名ではない「死者の書」という名称で呼ばれるようになったのは7世紀以降のことだ。名づけたのは、エジプトに侵入してきたアラビアの人々。古代よりのエジプト語、「死者の書」を書き記すのにも使われた、ヒエラティックやデモティックといったものが公の場から姿を消したのも、ちょうど、この時代になる。新たにエジプト王国の支配者となった人々には、この書物が何であるかは全く分からず、内容も読めなかった。そのため、つねに墓場から発見されるものとして、「死者の書」と、呼ぶしかなかったのだと思われる。

特定個人や民族の非とされるものではないが、今日(こんにち)、エジプト語が死語となっているのも、多くの神殿が失われているのも、彼らイスラム教徒が偶像崇拝を禁じ、古来よりあるエジプト語も含め文化の多くを徹底的に排除しようとしたからだという。

「死者の書」という名前は、19世紀、ドイツ人考古学者のレプシウス博士に発表されたことによって、世界中に広まることとなって今に至る。

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このサイトに載せてある「死者の書」は、大学の地下書庫に眠っていた、かなりボロボロの古い本から引っ張り出した資料から取っている。

 「大正9年発行 世界聖典大全 埃及(エジプト)」(非売品)。

想像を絶する古さゆえ、気をつけないと崩壊するというシロモノ^^; 細部において、最近の訳では違った解釈がされている可能性が高いが、このサイトでは、基本的に、上記の資料に忠実に内容を再現している(他に完訳資料が無かったため)。よって、ところどころ疑問な部分もあるが、カンベンしてほしい。新訳で完全版の和訳を出版してくれれば、このコーナーが存在する意味も無くなるわけで(笑)

難を言えば、資料が古いため、登場する神々の名前があまりに古めかしい表記になっており、誰がどの神様なんだか分からない。地名やアイテムの名前ですら、よく知られたカタカナ表記に直せない部分があった。そういった箇所については、そのまま表記している。

<電子データについて>

著作権切れのため、国会図書館での公開が開始された。PDFデータだが以下から全文が確認できるので、このサイトに載せてていない部分については以下から確認してみてほしい。

上巻 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946596
下巻 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946597


手に入りやすい、現代語での解説には、「エジプトの死者の書 宗教思想の根源を探る」石上 玄一郎/人文書院…があるが、この本自体も既に絶版となっている。が、非売品なんていうもんじゃないので、古本屋を回ると、けっこう簡単に見つかる。
資料は、同じく上記の「世界聖典大全」を使っているが、よりコンパクトに、内容の一部を抜粋して集めている。
興味のある方は探してみてくださいまし。



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