最近になって再調査されてデータ書き換わってるミイラもあるので、出来るだけ新しいデータを優先して書いています。(例/ツタンカーメン=暗殺を思わせる頭蓋骨の陥没は、CTスキャンの結果、ミイラになってからのものと判明)
各王様と発見場所については【王家の谷の墓リスト】と【王名一覧】、発見者については【エジプト学関連・人物名簿】を参照のこと。
※「報告年」の欄は、「一般に知られた年」という意味。たとえば、「昔から盗掘者は知っていたけど秘匿されていた」「学者が入り口発見していたが中身が確認されて五年後にニュースになった」などという場合もあるため"発見"ではなく"報告"と記載しています。
※カイロ博物館老朽化のため王族ミイラが新しく出来た博物館に移送されていますが、移送先が分からないものは「不明」としています(2024/1/3更新分)
王朝 | 生前のお名前 | 報告年 (※) |
状態 & ミイラデータ | 現在位置 | 備考 |
17 | セケエンラー・タア2世 | 1881 | 場所は移されていたものの自分の元々の棺に入って見つかった。ヒクソス王朝との戦いによって戦死した王で、数多くの戦傷を受けた壮絶な死に様で見つかっている。頭蓋骨の傷は6箇所でそのうち5箇所は斧、残り1箇所は槍によるもの。死亡推定年齢は40歳前後、身長170cm。 | エジプト国立文明博物館 | 戦場で死亡して遺体の回収に手間取ったらしく、死後硬直のためか強張ったような形でミイラにされている。頭蓋骨の損傷のためか脳は撤去されておらず、逆に内臓はほとんどが取り除かれている。腐敗のためかもしれない。 |
18 | イアフメス1世 | 1881 | 1886年にマスペロによって検証されている。身長163cm、死亡推定年齢は35〜45歳。保存状態は悪く鼻が損傷し、顔は分厚い樹脂に黒く覆われている。親知らずがかなり磨耗しているという。 | ルクソール博物館 | セケエンラー王の息子と考えられる王。18王朝初代。 包まれていた亜麻布の質はあまり高くは無かったが、首に神官たちが新たに置いたと考えられる花輪をつけて発見された。 |
18 | アメンヘテプ1世 | 1881 | 棺には、第21王朝の但し書きでミイラが何度も移動させられたことがメモしてある。ミイラの梱包は美しいが、X線で確認した中身のミイラの保存状態はかなり悪い。身長は165cm〜169cm。死亡推定年齢は30歳〜35歳。脳がまるごと残っている。また、「とても歯並びがいい」と評価されている。 | エジプト国立文明博物館 | 包帯は解かれていないため顔は不明。首に花輪をかけ、ミイラマスクをつけた状態で展示されている。棺に入り込んだスズメハチがミイラと一緒に見つかっており、「昆虫ミイラ」とされている。 |
18 | トトメス1世 | 1881 | 実際はトトメス1世のものではないとも考えられているが、このミイラのデータは身長155cm、保存状態は良好。死亡推定年齢は50歳前後、両手は切り落とされて股間に置かれている。 | エジプト国立文明博物館 | 近年、別人のものである可能性が高い、とされるようになってきている。(再埋葬のさいの取り違え) 両腕は王のポーズであるクロスにはなっておらず体の脇に下ろされている。ただしミイラは高級な作りで、時代も18王朝。王族の一人と見られている。 |
18 | トトメス2世 | 1881 | 1886年にマスペロによって調査されている。身長は162cm、死亡推定年齢は25-30歳と若い。墓泥棒に損傷を受けたのち、包みなおしで修復されている。元は王笏を握っていたと思われる右腕は肘から上が砕かれており、右足も体から外れている。 | エジプト国立文明博物館 | 全身が丘疹に覆われている。 |
18 | トトメス3世 | 1881 | 発見時、ブルクシュによって無許可で包帯をとかれている。身長は163cm、盗掘のため頭部と四肢は外れてしまっている。そのため包みなおしで修復されている。ミイラは微笑んでいるような顔をしている。この王の頃から、内臓を取り出すためのわき腹の切れ込みが真っ直ぐから斜めに変更されるようになるが、その原則が守られていないミイラが多い。 | エジプト国立文明博物館 | 全身が丘疹に覆われている。おそらく遺伝的な皮膚病。 この病はハトシェプスト女王と見られるミイラにもあり、近親婚を繰り返した一族に共通のものとなっていたとされる。 |
19 | ラメセス1世 | 1881 | 2003年にアメリカで発見され、エジプトに返還されたミイラ。おそらく元は足の指一本一歩に指サックをはめられていた。 | ルクソール博物館 | 最近の発見でCTスキャンなどもやってるはずなのに身長などのデータが少ない。 |
19 | ラメセス2世 | 1881 | ガストン・マスペロによって1886年に1ヶ月かけて包帯を解かれている。ミイラの身長は173cm。見事な鷲鼻だが、X線で確認すると鼻の形を保つため中にコショウ粒が詰め込まれていることが判った。髪の毛は赤毛である。(かつては白髪をヘンナで染めているとされていたが、地毛からして赤かったという説が出ている) これは第19王朝がセト神を特に信仰していたことと関連づけられるかもしれない | エジプト国立文明博物館 | 棺には第21王朝の時代に何度も移転されられたことが記されている。修復のためフランスに送られたことがあるが状態はよくない。額にはにきびがあり、足に生前の骨折が一箇所、歯肉炎と虫歯がある。また動脈硬化など高齢病も患っていたようだ。なお死亡時は薄毛にも悩まされていたようで額がハゲている、らしい…。 |
19 | セティ1世 | 1881 | マスペロが1886年に包帯を解いている。身長166cm、死亡推定年齢は45-50歳。顔の保存状態はよいが体の部分は保存が悪く、布の覆いをかけた状態で展示されている。美しい鷲鼻は孫のラメセス2世とよく似ている。頭部は盗掘者によって外され、腹にも孔があけられている。 | エジプト国立文明博物館 | ミイラ中に脳が残されており、心臓が右側にある(内臓を取り出したあと戻す時に間違えた)ことが判っている。また、腹部内に樹脂に浸した布の塊がいくつか詰め込まれたままとなっている。 |
20 | ラメセス3世 | 1881 | マスペロが1886年に包帯を解いている。死亡時年齢は60-65歳。胸の上にセト神の動物であるカバをかたどった布を置いたミイラ。まぶたが取り除かれ、眼窩に布を詰め込まれているため異様な表情に見える。 | エジプト国立文明博物館 | 王宮陰謀パピルスが残されており、以前から暗殺が示唆されていたが、2012年のCTスキャンで、実際にミイラにも暗殺の痕跡が見つかっている。それによると、足の親指を切り落とされ、背後から喉を切り裂かれた状態だという。あまり美男ではないとされ、ボリス・カルロフ主演のホラー映画「The Mummy(ミイラ再生)」のモデルに使われてしまったというかわいそうなお方である…。 |
20 | ラメセス9世 | 1881 | . | エジプト国立文明博物館 | . |
21 | ピネジェム1世 | 1881 | . | ルクソール博物館(?) | 肩書きは「アメンの大神官」だが第21王朝テーベ神聖国家はいちおう独立した王朝と名乗っていたのでここに入れる |
21 | ピネジェム2世 | 1881 | . | ルクソール博物館(?) | 肩書きは「アメンの大神官」だが第21王朝テーベ神聖国家はいちおう独立した王朝と名乗っていたのでここに入れる |
19 | サプタハ (シプタハ) |
1898 | 玄室に、棺に入れた状態で安置されていた。調査年は1905年。身長は164センチ、保存状態はかなり悪い。顔は分厚い樹脂に覆われ、耳が裂けてしまっている。第21王朝の時代に再埋葬されているが、その際に破損していた右腕は添え木で修復されている。腹部に乾燥した苔のようなものが詰められている。 | エジプト国立文明博物館 | 幼くして即位し、母が摂政を務めていた王。先天性の内反足のため歩くことが出来なかった。幼児ポリオの後遺症と言われているもので、そのため病理学の歴史なんかにも登場する。 |
20 | セティ2世 | 1898 | 玄室に、棺に入れた状態で安置されていた。この場所に安置される以前に度重なる盗掘によって何度も移転させられているが、皮肉にも保存状態は他の盗掘されていないファラオたちより良好。身長164cmで耳たぶにはイヤリング用の穴が開いている。右腕は破損してなくなっている。調査は1905年に行われた。 | エジプト国立文明博物館 | . |
18 | トトメス4世 | 1898 | 玄室に、棺に入れた状態で安置されていた。推定死亡年齢は25-30歳、身長165cm。表面の亜麻布の下の胸は真っ赤な亜麻布で覆われている。ペニスに割礼が施されていることが確認できる王である。 | エジプト国立文明博物館 | スフィンクスの足元にたつ「夢の碑文」で知られる王。微笑みを浮かべたような顔でミイラにされている。 |
18 | アメンヘテプ3世 | 1898 | 玄室に、棺に入れた状態で安置されていた。1905年に解放されており、保存状態は良くも悪くもないが頭部が胴体から外れていることが確認されている。深刻な歯の病気を抱えており、むしば菌で骨が溶けていたりするかなりの末期症状。 | エジプト国立文明博物館 | 首に大量の花輪をかけた状態で発見されている。包帯は解かれてしまったが、手の込んだ梱包がされていたことが確認されている。 |
19 | メルエンプタハ | 1898 | 玄室に、棺に入れた状態で安置されていた。盗掘者による損傷で腕が折れていたりするが、ミイラの保存状態はさほど悪くない。タマタマは防腐処理の際に除去されてしまっている。動脈硬化や虫歯を患っていたことがわかっている。 | エジプト国立文明博物館 | 旧約聖書の中に登場する、モーセの時代のファラオは彼だという説がかつてはあり、「海に飲まれたので遺体はない」という突拍子もない説さえ存在した。 |
20 | ラメセス4世 | 1898 | 玄室に、棺に入れた状態で安置されていた。調査年は1905年、護符などの類は徹底的に持ちされているがミイラ事態の保存状態は良い。身長は160cm。眼球のかわりに小さなタマネギが詰められている。また鼻孔にはタマネギの皮、口には布が詰められている。サプタハ王同様、腹部には乾燥した苔らしきものの詰め物がある。 | エジプト国立文明博物館 | タマネギ突っ込んだわりに鼻が潰れてしまっているのが残念なところである…。なおこのミイラ、肛門にも樹脂が詰められている模様 |
20 | ラメセス5世 | 1898 | 玄室に、棺に入れた状態で安置されていた。保存状態は良好で身長170cm、死亡推定年齢は36歳前後(状態がいいため細かく出されている) 額のあたりに見える赤い色は染料。左手の指は死後におそらく盗掘で切り落とされている。タマタマがかなり大きい、というどうでもいい情報が添えられている。 | エジプト国立文明博物館 | 体に天然痘らしき跡が見られることから「天然痘で死んだ最古の実例」として紹介されることが多い。ただし本当に天然痘だったのか、似た痕跡を残す別の病気だったのかの決着はついていない。 |
20 | ラメセス6世 | 1898 | 玄室に、棺に入れた状態で安置されていた。調査年は1905年。状態はかなり酷く、包帯が引き裂かれ、墓泥棒によって頭と足がもぎとられている。下あごが砕かれ、顔にも傷が付けられている。また、左手がなくなっている | エジプト国立文明博物館 | 左手がなくなったかわりに、誰のものか分からない二つ目の右手が包み直された包帯の中に入っていた。 |
18 | アメンヘテプ2世 | 1898 | 身長167cm。両足は装飾品を奪うさいに付けられた傷が残っており、首元にもネックレスをしていた跡がある。樹脂に浸した包帯が顔にはりついたままになっているが歯の状態は良好。また、性器に割礼の跡がある。第21王朝時代の再埋葬の際に上等の亜麻布で包みなおされている。 | エジプト国立文明博物館 | 本来の自分の墓を「ロイヤル・カシェ」として他の王たちのミイラの合宿所かわりに使われていた王。王家の谷では珍しく、自分の終(つい)の憩い場から見つかったファラオである。全身に丘疹がある。 |
18 | ツタンカーメン | 1922 | 状態は悪い。発見時にかなり手荒に包帯を解かれ、さらにその後の保存も放置状態だったため近代に損傷した部分も大きい。死亡推定年齢は19歳くらい。身長は170cm。(180cmとする資料もあったが、ミイラがバラバラなために生じた誤差と思われる。おそらくデータが修正されている) | 王家の谷 KV62 | ハワード・カーターによって発見された最も有名なファラオ。自分の墓から見つかっている。 |
18 | アクエンアテン? | 1907 | ミイラというかほぼ骨。死亡年齢は最高に見積もってで35歳と見られている。KV55(通称アマルナ・カシェ、アマルナ王朝の遺物が寄せ集めにされていることから)で発見された。ミイラは1体のみである | ルクソール博物館(?) | アマルナに埋葬されたアクエンアテンを王家の谷に移転させたものとされているが、アクエンアテンにしては若すぎるという批判があり2017年1月現在、再確認プロジェクトの結論まちとなっている |
18 | ハトシェプスト女王 | 1907 | 乳母インの墓で見つかった肥満体のミイラ。発見時は名前の判るものは身につけておらず墓の内部に置きざりにされていたが、2007年の再検査の際に王家の谷から持ち出され、現在はカイロ博物館で女王のものとして展示されている。前髪は剃られていたが後ろ髪はふさふさとしていた。また「胸が非常に大きい」という話である…。 | エジプト国立文明博物館 | 同時に発見された「乳母イン」というミイラがハトシェプストの関係者かどうかは不明。またミイラの特定方法に異議を唱える人がいないわけではない。本当に彼女のミイラだとすれば死亡年齢は50歳前後で、死因は癌や動脈硬化となる。 |
3 | ジェセル | . | 片足しか残されていないため本人かどうか不明。骨だけだが、防腐処理を施した形跡はあるため一応ミイラではあるらしい | 現存しない | 同時に見つかった腕輪をはめた腕は廃棄されてしまい、現在では写真しか残されていない。腕のほうは、腕輪からして王妃ではないかと言われている。 |
5 | ウナス | . | 右腕、頚骨、頭蓋骨の断片、肋骨数本のみ現存 | 不明 | . |
6 | テティ | . | 片方の肩と腕一本のみ現存 | 不明 | . |
6 | ペピ1世 | . | カノポス壷に入った内臓のみ | 不明 | 中身のきちんとした確認は行われていない |
21 | プスセンネス | 1939 | 豪華な黄金のミイラマスクや黄金の指サックで知られている。 | 現存しない? | 世界大戦の始まろうとしている最中に発見されたせいでイマイチ知名度が高くないが、自分自身の墓から見つかっている数少ないファラオ。副葬品の多くは過去の歴代王のものを流用している。 |
6 | メルエンラー1世 | 1881 | 頭部のみ残存。それ以外の部分はドイツ・ベルリン博物館にてWWUに消失 | イムヘテプ博物館 | 参考 |
. | . | . | . | . | . |
王族のミイラ | |||||
王朝 | 生前のお名前 | 発見年 | 状態&ミイラデータ | 現在位置 | 備考 |
17 | イアフメス・ヘヌテミペト王女 | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | . |
17 | イアフメス・ヘヌトタメフ王妃 | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | . |
17 | イアフメス・メリトアメン王妃 | 1881 | . | エジプト国立文明博物館 | . |
17 | イアフメス・スィパイリ王子 | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | . |
17 | イアフメス・インハピ王妃 | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | . |
17 | テティシェリ王妃(?) | 1881 | 老婦人のミイラ。通称「不明女性A」。見つかった際に入れられていた棺にはラメセス1世の名が記されており、身長は157cm。白髪だが巻き毛が残り、黒い付け毛をつけていた。 | カイロ博物館→移動? | テティシェリだとすれば、セケエンラー・タア2世と、その王妃イアフヘテプ1世両方の母で平民出身だった女性ということになる。 |
17 | イアフメス・シトアモーセ王女 | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | . |
18 | イアフメス・ネフェルタリ | 1881 | 発見時、ブルクシュによって無許可で包帯をとかれている。持ち出されたあと腐敗してしまったようで「悪臭を放っていた」という記録がある。 | エジプト国立文明博物館 | 17-18王朝を繋ぐ人物。イアフメス1世の妻、セケエンラー・タアの娘。 |
18 | イアフメス・シトアメン王女 | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | . |
18 | バケト王女(?) | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | . |
18 | イセト王妃 | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | . |
18 | シアメン王子 | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | . |
17 | イアフメス・メリトアメン王女(?) | 1881 | 通称「不明女性B」または「叫びのミイラ」。状態はあまりよくなく、ミイラづくりも雑。死の直前に断末魔の悲鳴を上げているような印象的な顔をしている。頭は横向きで足を交差させ、両腕は切り取られている。そのため何らかの罪を犯して処刑された王族と言う説もあったが、顔はともかく腕は墓泥棒の仕業のようである。 | カイロ博物館→移動? | 同名で第18王朝の女王もいるため混同に注意。なお、実際の正体は不明。ミイラの製法が18王朝のものに見えることから、ラメセス2世の娘メリトアメンという説もある。 |
21 | ドゥアトハトホル・ヘヌタウィ王妃 | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | . |
21 | マートカレ王女 | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | ピネジェム1世の娘、肩書きは「アメンの神妻」 |
21 | ネスコンス | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | ピネジェム2世の妻? 称号「アメン神のハーレムの監督官」 |
21 | イセトエムカヘブ | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | ピネジェム2世の妻 |
21 | マサハルタ | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | . |
21 | ノジュメト王妃 | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | . |
18 | ティイ王妃 | 1898 | かつて「年配の女性」と呼ばれていたミイラ。2010年、ツタンカーメンとその家族を探すDNA解析プロジェクトが行われ、その結果をもってティイ王妃とされるようになった。豊かな髪を持つミイラ。玄室わきの部屋の床に横たえられた状態で発見された。 | エジプト国立文明博物館 | DNA解析は現在わかっている家系図に基づき、現段階での技術によって行われているものなので、確実かどうかは微妙なところ |
18 | ウェベンセヌウ王子(?) | 1898 | 子供の髪型であるサイドロックを持つ少年のミイラ。玄室わきの部屋の床に横たえられた状態で発見された。 | カイロ博物館→移動? | アメンヘテプ2世の息子。死亡時の年齢は10歳くらいで、父の墓に一緒に埋葬されたと考えられている。 |
19 | タァウセルト王妃 | 1898 | 玄室に、棺に入れた状態で安置されていた。 | カイロ博物館→移動? | セティ2世の妻。 |
6 | シェシェティ王妃 | 2008 | 近年になってからピラミッド内から見つかった遺体。報告書があるかは不明。写真で見る限りはほぼ「骨」の状態。 | カイロ博物館?→移動? | 第六王朝初代テティ王の母 |
18 | ネフェルタリ王妃 | 1904 | 墓の保存状態は良いが、ミイラはヒザの部分しかパーツが残されていない。 | トリノ・エジプト博物館 | さいきんの鑑定結果と写真 |
5 | イウアプト王妃 | 1935 | 無傷のミイラだが調査がされていないため詳細不明 | カイロ博物館→移動? | テティ1世の妻 |
21 | ジェドプタハイウフアンク王子 | 1881 | 象嵌の眼がはめ込まれているため、やや眠たげな顔をしている生きた人間のように見える。ちぢれた髪の毛が残っている。 | カイロ博物館→移動? | 称号「アメンの預言者」 |
18? | 王妃? | 1817 | ベルツツォーニによって開かれた墓で発見された。棺に入れられず、裸の状態で床に置かれていた。ポーズからして王妃と考えられているが名前は不明で、長く豊かな髪をしている。状態は悪くバラバラにされている。 | カイロ博物館?→移動? | |
18? | 王妃? | 1817 | ベルツツォーニによって開かれた墓で発見された。棺に入れられず、裸の状態で床に置かれていた。ポーズからして王妃と考えられているが名前は不明で、長く豊かな髪をしている。状態は悪くバラバラにされている。 | カイロ博物館?→移動? | |
20 | ペンタウレー王子? | 1817 | Unknown Man E または「叫びのミイラ」。こちらは男性。苦悶の表情を浮かべ、羊の皮に包まれて見つかった。「後宮陰謀パピルス」に記された、父ラメセス3世を殺害した首謀者である王子で、処刑されたため苦しみの表情のままミイラにされたのだと考えられている。 | カイロ博物館→移動? | 2018年よりカイロ博物館で展示が開始された。 |
王族以外のミイラ ※厳密には、王族の血を引いている可能性あり | |||||
王朝 | 生前のお名前 | 発見年 | 状態&ミイラデータ | 現在位置 | 備考 |
18 | ライ | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | 称号「乳母」 |
21 | ネシタネベトイシェルウ | . | カイロ博物館→移動? | . | |
21 | タユヘレト | 1881 | . | カイロ博物館→移動? | 称号「アメン神の歌い手」 |
18? | 男性ミイラ | 1898 | なぜか前室の船の中に置かれた状態で発見されたミイラ。名前は不明。 | カイロ博物館→移動? | アメンヘテプ2世の息子という説がある |
18? | 若い女性 | 1898 | 2003年のディスカバリーチャンネルでは「ネフェルティティのミイラと特定された」と放送されたが、その後否定意見が相次いでいる。ミイラは欠損しており、美しい顔にも大きな穴が開いている。 玄室わきの部屋の床に横たえられた状態で発見された。顔の損傷は生前につけられたものであるとする研究もある(アシュラフ・セリム) |
カイロ博物館→移動? | KV35の元々の被葬者はアメンヘテプ2世なので本来の被葬者とは異なっている。この隠し場所のミイラは、第三中間期にミイラが移動させられた際に包帯を解かれている。 |
18 | イン | 1906 | 小柄な女性のミイラ。棺に「王家の乳母イン」と記載されていた。 | カイロ博物館→移動? | ハトシェプストのミイラと考えられている太ったミイラとともに発見されている。 |
- | アメン神官や巫女たちのミイラ | 1891 | 王族以外の隠し場所(カシェ)から発見された150体を越えるミイラ。あまりにも膨大でろくな調査はされていない。リストも不完全ですべて元通り揃っているか不明という恐ろしい状況 | カイロ博物館→移動? | 参考/この墓は「神官の門」と呼ばれている。 |
セティ2世墓 KV15 から見つかったミイラ
トトメス4世の墓 KV43 から見つかった子供
◆使用メイン資料
The complete Valley of the Kings
ビジュアル「王家のミイラ」
収蔵先博物館の情報なども併用
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