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古代エジプト人は、「何人」か?

2008/1/7
2008/1/9追記


たまーーに海外の掲示板で炎上しているのが「古代エジプト人は黒人か否か」という話題。
多分、黒人差別の歴史とか、黒人という呼称についての問題とか、色々あるんだと思う。「この白人至上主義者め!」とか誰かが言い出して、だいたい話題がループするんだが… まあ、まあ、それはおいておこう。

日本だと「エジプト人は何人か?」という話題で炎上することはまずないのだが、大きな勘違いをしている人は結構いらっしゃる。骨格や遺伝子などから人種的な特徴を推測することが難しかった時代に出版された研究書や、エジプト学が未熟で、古代エジプト人に対して偏見がもたれていた頃に作られた誤ったイメージの遺産が、まだ残っているのではないか、という気がする。


先に結論を述べておこう。

 古代エジプト人は、白人でも黒人でもなく、宇宙人でもアトランティス人でもない。
 アフリカ人でもアジア人でもないと同時に、その両方の血をひいている。


というか、何千年もかけて色々な人種がごちゃまぜになっているため、「何人?」という質問自体がナンセンスとも言える。
この問題について、まず最初に二つの大きな注意点をあげておく。


その1◆壁画に描かれた人物の肌の色は、大してあてにならない。

壁画の人物像から、外国人の存在を読み取ることは出来ても、その容姿が忠実であるとは限らない。エジプトの壁画はマンガみたいなものだ。主人公(王や神)は大きく、敵や異国人は小さく描く。男は力強く見せるために肌の色を日焼けした色で塗り、女性はやさしく淡い色で塗られる。(ただし例外的に、中王国時代には、女性が黒く塗られたこともあった)

たとえば壁画の中でエジプト人の肌の色が褐色で、異国人とされる人々の人物の肌が黒いからといって、エジプト人の肌の色がその異国人より薄かったわけではない。

よくある事例として、こんなものを用意してみた。



プント、つまりエジプトの南、アフリカ中央部の国からの貢物を描いた壁画である。
小太りなのはプントの国の女王様。後ろに続くのは香辛料など珍しいものをたくさん抱えた従者のみなさん。
あれ従者のみなさんの肌の色は黒いじゃない! と、思っちゃいけない。
女王様の肌はエジプト人と同じ色で塗られています。

しかも異国人のはずなのに、服装も、髪型も、エジプト人になっている。なじみすぎていて、絵の横に添えられた文字を読まないと、この人がプントの女王とは分からないかもしれない。

この図だけを元に、「プントの使者の肌が黒いから、プントは黒人の国だ」とか、「エジプト人の肌の色は薄く塗られているから黒人ではない」という主張をすることは出来ない。

同じような例をもう一つあげてみる。

この新王国時代のヌビアとの戦いを描いた図では、エジプト人の肌の色はヌビア人よりも薄い。敵であるヌビア人の肌は黒く描かれている。

しかしこれは、ヌビア人の肌の色がエジプト人より濃かったことを意味しない。
何故か。画面上、カッコよく戦って勝っているエジプト人が目立たないといけないからだ。
そのためにヌビア人は黒く、背景に沈んでいる。画面構成上の必然なのだ。



これも新王国時代、ナクトという人物の墓に描かれたワインづくりの様子だ。
ぶどう踏みをしている男性の中で、重なっている人物のうち二人だけ肌の色が薄い。
(左の三人のうち真ん中、右の二人のうち奥)
全員同じ色だとくっついて見えてしまうからだろう。これも画面構成上、見栄え良くするための肌の色の変更である。エジプトの壁画で、肌の色に写実性は求めないほうがいいという例だ。



一般的に女性や子供の肌の色は男性より薄く塗られるが、新王国時代のネブアメンの墓にある、こちらの絵ではネブアメンの娘の肌の色は父親より黒い。
これも、父親と密接しているから少し色あいを変えて画面を構成しているのだと思う。

ちなみに男性のほうが女性より肌の色を濃く塗られるのは、男らしさや健康さを表す為、または男性は家の外で働くために日焼けしているということを示すものと考えられている。


と、まぁ例はつきないが、古代エジプトの壁画は現実に忠実ではなく、儀式的な細かいルールに従って描かれたものだ。それだけを根拠にして語っては、説得力がない。
というか、みんな金太郎飴みたいな同じ顔で描かれてんのに、肌の色だけ忠実なワケないだろ。(ざっくりツッコミ)

顔の特徴すら出てませんよエジプトの絵だと…。

参考になるのは、ヌビア人やアジア人の当時のファッションについての部分。みんな同じ顔で描かれる絵の中で、服装は人物の身分や特徴を示すものだけに、ある程度、忠実に描かれている。明らかに異国の格好をしている人物が公式の記録に登場していれば、その時代に異国人が多く訪れたなどの変化がおきていることが分かる。


その2◆古代エジプトには、様々な時代に残されたミイラが多数存在することを忘れてはいけない。

古代エジプト人が何人だったのか、どういった人種・民族の血を引いていたのかは、古代エジプト人自身に聞けばいいのである。王や王妃だけではない。家臣や召使、役人たち、時には職人ですらミイラになってその体を現在まで残している。従って物理的なサンプルの数は他の古代文明より多く、遺伝子解析なども行える。膨大な物的証拠のある古代エジプトについて、紙の上と想像だけで話を進めようというのが、そもそも間違いだろうと思う。


有名なところだとラメセス2世だろうか。
この方のミイラは保存状態がよく、髪の毛も残されていた。地毛は赤毛である。

ラメセス王がご存命だった19王朝の王家は、アジア系の血を引いていたとされる。嵐の神バアルと同一視されたセト神の地位が高くなり、他のアジア系の神々も多くエジプト神話に取り入れられた。神々が取り入れられたということはつまり、それだけまとまった人数の移住者を受け入れていたはずだ。
人の行き来・交流は血の交わりを生み出す。
王がミタンニやその周辺の国々から王女を妻に迎えていたように、、少なくとも、国境に近いナイルデルタのあたりでは当時の古代エジプト人と、アジアからの移住者の混血が行われていただろう。ただし、まとまった数のミイラが見つかっていないため、その時代に起きた変化について統計的なデータは無いようだ。

かわりに、上エジプトのドゥーシュ村(カルガ・オアシスの南にある)廃墟から得られたローマ統治時代の700体のミイラを統計分析したデータを挙げてみる。

ミイラとして見つかったのはおよそ2/5、その他は保存状態の悪さから白骨化していたが、ミイラ化の跡は認められる。
人種としては、『ほっそりとした地中海沿岸人タイプで、中背(男は1.65m、女は1.55m)、白い肌。長頭または中頭で、髪はカールしていることが分かった。黒人の特徴はほとんどないが、ヌビアに近いことを考えれば当然である。顔の特徴はナイル流域の住人とほぼ同じと考えて良い。』
<参考:ミイラの謎/フランソワーズ・デュナン、ロジェ・リシタンベール著/創元社>

ドゥーシュはナイルから離れた内陸の村で、エジプトの南端に近い場所にあるが、それでもミイラ化などの文化は共通していた。また、700体に及ぶミイラから、その村の住人は黒人ではなく、白人でもなかったことが分かっている。

もちろん時代ごとに人種的な特徴は異なっていただろうが、少なくとも、古代エジプト人は紀元前の時代だけで何度かの大規模な民族交流を果たし、アジア人とも、ローマ人とも混血している。またヌビア人王朝がナイル下流に建てられたことも、リリビア人王朝が建ったこともあり、周辺各国との交わりもあった。

”古代エジプト人とは何人か?” ――その答えは、単純な外見や遺伝学上の特徴にあるのではない。彼らのアイデンティティは、ナイルのほとりに住み、お馴染みの神々を崇拝し、自分たちをエジプト人だと思っていたという、文化的な部分ではないだろうか。


というわけで、結論から入って詳細へと移る。


◆エジプト初期王国のなりたち

古代エジプトに様々な人種が住んでいたことについては、歴史を辿ることでその経緯を知ることが出来る。
最初にエジプトのあたりに人が住み始めたのは、およそ一万年前、気候が変化しはじめた頃だっただろうと言われている。機構が乾燥し始めたことによってサハラが形成され、北はリビアや地中海沿岸の各地から、またアフリカ内部からも、生活に必要な水を求めてナイル河周辺に人が集中しはじめる。

←ちなみに、先王朝時代(エジプトに統一王国が築かれる以前)の遺跡は、こんなかんじで発掘されている。
<参考:エジプトの考古学/近藤二郎/同成社>

これらの遺跡の中から出土した石器や土器を分析することで、一部の人々はエジプトより南、ヌビアから移住してきたんだろうということが分かる。
が、エジプトの北、海に近い側はどうやら文化が違ったようだ。

つまり最初の段階から、エジプトの北に住む人々と南に住む人々ではルーツが異なっていたと考えられる。
エジプト神話に登場する「上の国」(ナイル上流)と「下の国」(ナイル下流)、二つの王権、白冠と赤冠といったモチーフは、もともと北と南で異なる勢力だったものが統一されて一つになったとき古代エジプト王国の歴史が始まった、ということを表している。

二つの王国は、伝説の初代王、ナルメルのあたりで一つに統合され、古代エジプト王国の時代が始まる。これは、初期の段階から既に、ニ系統の血が交じり合っていたことも意味しているかもしれない。


◆異国からの移住

古代エジプトにおける農耕の始まりは、西アジアから伝来した農耕技術によるとも言われる。
また、天文学や、文字エジプトに先んじて文明を築いていたメソポタミアからの移住者が伝えたともされる。

その他にも、ヒエログリフは楔文字の原型である絵文字から着想を得たものであるとか、初期の階段ピラミッドにはメソポタミア周辺で築かれていたジッグラト(上に神殿をのっけるためのピラミッド)の技術が応用されているとかいう説があり、その可能性は大いに考えられる。

ということで、エジプト(というよりナイル沿岸の文明)には、その発祥段階から西方との繋がりが強かった。
もちろん文化だけではなく人も渡ってきただろう。古代エジプトに、高層建築や最初の天文学をもたらしたのは、メソポタミアからの移住者だったとも言われる。

また、エジプト王国の歴史を通して、南方はヌビアからの移住者が多く流れ込んでいた。主に兵士や召使として、である。第四王朝のスネフェル王は、「ヌビア遠征から7000人の捕虜と20万頭の家畜、またエジプト東部砂漠から多数のベドウィンを連れ帰って来た」という。
第四王朝つーと、でっかいピラミッド作ってたあの頃ですな。

さらに新王国時代になると、トトメス3世の時代には6000人、アメンホテプ2世は10万人の奴隷を連れ帰ったともされ、ラムセス2世の時代には神殿に仕える奴隷だけで113,433名が記録されているという。
<参考:古代エジプト 都市文明の誕生/古谷野 晃/古今書院>

奴隷としてつれてこられた人々の大半はエジプトに定住する道を選んだようで、エジプトに入ってきた形跡はあっても大規模に脱出したような記録はない。例外として残っているのが、旧約聖書にある「出エジプト」の話だ。

このように、エジプトの歴史には、エジプトに移住してきた様々な人種、民族を示す記録が多数ある。
たとえばラメセス時代のパピルスが伝えるところによると、「エジプトの軍隊構成 エジプト人1,900人 スーダン(ヌビアより南か)人520人、神官1,600人、軍人100人、ヌビア人880人」…と、いった感じで。


●そして再び、結論へ

というわけで、
そもそも生粋の(純血の)エジプト人などというものはいない。

古代にも、存在したことはない。

古代エジプト王国は、最初期からしてアフリカ内陸部と、地中海沿岸やアジアの人種の混血した結果、誕生している。そして歴史を通して、様々な段階で、多くの移住者を受け入れてきた。(その反面、「シヌヘの物語」に語られるように、エジプト人は国を離れたがらなかった)
現在のエジプトは、その結果としてアフリカ人でも、アジア人でもなく、白人でも黒人でもない、いわば「地中海人」とでも言うべき状態にある。

「ナイルの側に住んで、ナイルの水を飲んでいればエジプト人」。だからまぁ、人種的な意味でのエジプト人、遺伝学的なエジプト人なんてものの存在を規定しようとすること自体が、無駄な努力というか、意味ねーんだ。と言いたい。


●おまけ こんな議論もありました…

この記事を書いてみようと思い立つ少し前、2007年9月にロイター通信でこんなニュースが出た。
ツタンカーメンの肌の色は何色? (mht形式保存

【9月26日 AFP】ツタンカーメン(Tutankhamun)王の肌の色は何色か――。米国を巡回中の「ツタンカーメンとファラオの黄金時代(Tutankhamun and the Golden Age of the Pharaohs)」展に展示された王の肖像をめぐり、こんな論議が巻き起こっている。エジプト考古最高評議会のザヒ・ハワス(Zahi Hawass)事務局長は25日、ツタンカーメン王は黒人ではなかったとの自説を主張した。

 発端は、米国の黒人運動家がツタンカーメンの褐色の肌の色を指摘したこと。ハワス氏は米フィラデルフィア(Philadelphia)で9月6日に行った講演で自説を展開したが、これに対して黒人運動家らが反発した。

 ハワス氏は25日、反論に応える形で記者団に「ツタンカーメンは黒人ではなかった。アフリカの古代エジプト文明人を黒人と形容することには一片の真実もない」と強調。半国営の中東通信(MENA)も「エジプトはアフリカ大陸にあるが、エジプト人はアラブ人でもアフリカ人でもない」とする同氏の発言を伝えた。


このページの「結論」を読んでもらえれば分かるとおり、私の考えもハワス博士と同じで、エジプト人は黒人でもアラブ人でもないし、もちろん白人でもない。と思っている。

 ツタンカーメンが黒人かって?
 見れば分かるじゃないか… ミイラを…。

だが、黒人差別や白人主義、文明の頂点はローマだとするような前提としての偏見が根強く存在する国際社会では、そうした発言すらも火種になってしまうらしい。

しかもひどいことに、この記事を読むと、黒人運動家たちは「ツタンカーメンを白人として作った胸像の展示を取りやめるよう要求」した、というのだ。その白人姿の胸像とは、これだ。

ツタンカーメンの顔ですらないし これアラバスター製じゃん。

白い石で作った彫像が白いのは、当たり前だろ(笑)
つーか白人てのは髪の毛も服も白い人種なのかよ。
アラバスターって古代エジプトの出土品ではかなりメジャーなんですが。そうするとナンですか、アラバスター製の神様もすべて白人にされちまうってわけですかい?!
これもツタン墓から出てきたやつだね
←これとか。

こんなんで腹をたてる黒人運動家も間違っているだろう。せめて、古代エジプトで工芸品に使われたアラバスターという石は白っぽい色をしているのがデフォルトなんだくらいは調べようよ、と。

まあ、そんなわけで、海外の掲示板で古代エジプト人の人種問題をふると炎上する理由が何となくお察しいただけましたら幸い。ナイーヴな国はほんとにナイーヴなので、自分なりの根拠や信念を持たずに、ここらへんの発言をするのは差し控えたほうがいい。日本語のサイトなら、翻訳してまであえて海外か閲覧する人は少ないと思いますが…。




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