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ハトホル Hathor(仏語:Hathor)

古代名:フゥト・ホル/ギリシア名:ハトホル?/別称・別綴り:ハトル、ハトール、ウレルト、セム語ではバアラト・ゲバル
性別:女性


――――王の母なる、運命の女神

主な称号

天空の女主人、生命の貴婦人、ラーの瞳、トルコ石の貴婦人

主な信仰

デンデラ神殿の地下室の壁からフゥト・ホル、つまり「ホルス神の館」というのが名前の語源。意外かもしれないが、古代エジプトの初期にはイシスではなくハトホル女神がホルス神の母親とされていた。つまり「母性」こそがこの女神の最初の本質である。
有名なエジプト初期の王、ナルメル王のパレットには、戦う鷹の姿と、それを見守るように上部に描かれた牛の顔が刻まれている。(この牛は正確には"バト女神"で、のちにハトホル女神に吸収され、一部となった。ハトホル女神は多数の"母なる女神"の集合体であり、もともとは一般名称だったとも考えられる)

イシスと同格くらいの大女神で、その信仰はエジプト全土に広まっていた。
時には若く美しい恋人、時には慈愛に満ちた母としての姿を見せるハトホル女神は、ある意味、理想的な女性の象徴である。

一般的な夫は、エドフのホルス神殿に住む、ホル・ベヘデティ神。ホルスの名を持つが、イシスの息子ホルスではない。(後の時代には混同されていた節があるが…。)
デンデラの自分の神殿に住んでいるハトホルが、一年に一度、年末〜年始に二週間ほど、船に乗ってエドフの夫の神殿を訪れる、というお祭りがあったとされる。なんだか七夕っぽい話である。
音楽を愛する女神でもあったハトホルの息子は、楽師の神イヒ。また、ハトホルに捧げる「鏡の踊り」というダンスがあった。


※なぜか「ハトホル女神とラー神が夫婦となってホルスを生んだ」という神話があったと誤解されているようなのでついでに。
出所は、デンデラ神殿にある誕生殿(マンミシ)の壁画に描かれた、アメン・ラー神とハトホル女神が交わってイヒ神を生み出したという物語だと思う。デンデラ神殿においてはイヒ神は一部、王の化身としても扱われているためホルスと同一視出来なくも無いが、それは拡大解釈の範囲である。なお、イヒと同化する場合のホルスはホルソムトゥスと呼ばれている。ホルソムトゥスという名は同じデンデラ神殿の地下室などに登場している。

現存するデンデラ神殿自体がプトレマイオス朝半ば〜ローマ時代に建て直されたものであるため、その壁面に描かれた神話はエジプト神話の歴史の中では新しいほうに属し、後付の要素であるものが多い。イヒとホルスを同一視する神話は、紀元前1千年ごろから盛んになった「王は創造神と女神の息子が受肉した存在」という思想の発展形と考えられる。ただし、この思想が最初に現れるのは新王国時代のハトシェプスト女王の頃で、ハトシェプストは自らを「アメン神の子」と称した。


死者の守護神としての側面

ハトホルは、新たな命をはぐくむ生の女神であると同時に死の女神でもある。
冥界に現れ、死者を導く、あるいは諭すという役目があり、アシウトの町では死者の守り手であるアヌビスやウプウアウトとともに祀られた。
また、運命を告げる女神で、神話の中では、「この人は死刑になって死にます」など不吉な予言をすることもある。その中で有名なものが「二人兄弟の物語」。
ハトホルは「運命をつげる七人のハトホル」を引き連れるとされるが、この七人というのは、北欧神話で言うとこのノルニルのようなものだろう。(もちろん、エジプト神話と北欧神話には何ら関係がないが。)

七という数字は現代では「ラッキーセブン」として知られるが、古代エジプトにおいては「四」と「三」を足した数、という意味で使われた。「三」は「複数」を意味し、「四」は「四方」、つまり「あまねく全て」というニュアンスを指す。七とは、「沢山」という概念を表す最小単位でもある。エジプトの神々で「七つの分身を持つ」とか「七つの魂を持つ」といった表現のつけられている神様がいたら、「とにかくいっぱい持ってる! でも人間に見えるぶんってことで七つにしとくよ」くらいの捉えられかたをしていたのだと思ったほうがいいかもしれない。と、いうかエジプト人のことだから、壁画にたくさん描くのが面倒なので、「七って言ったらとりあえずイッパイって意味ね!」…とかいう理由だったのかもしれない。西の地平よりお迎えハトホル様

死者の導き手としてのハトホルは、たいてい牛の姿で描かれる。
右図は西の地平から死者の魂を迎えるべく現れたハトホル様。
葦はオシリスの住まう野に生えているものなので、日本で言うと彼岸花みたいなニュアンスで捉えてください。西の地平から出てくるのは、「西は日の沈む方向⇒死んだ太陽が去り行く地平の向こうに死者の国がある」という信仰から。

またハトホル様のお迎えに乗り遅れて迷ってしまった死者もドントウォーリー。優しい担任の先生のごとく、はぐれた魂も探しに来てくれます。
死後の世界への旅を怖がる死者の魂をぺろぺろ舐めて落ち着かせたり、おなかを空かせたら乳を飲ませてくれるなど、非常に面倒見のよい女神様です。こんな冥土からのお迎えなら、真っ暗な地下世界の旅もきっと大丈夫。

七人のハトホルの内訳は、以下のようなものである。

 「いくつものカァの館」
 「静かなもの」
 「ケンミスの婦人」
 「いたく愛されしもの」
 「守る婦人」
 「その名が力を持つ婦人」
 「天の嵐」


●ハトホルの髪型

下図の左は、いわゆる「ハトホルの髪型」と呼ばれるボリュームたっぷりな長髪。デンデラのハトホル神殿の柱の飾り。
この髪型をした女性像もあることから、神様特有の髪型ではないようだ。
シストルムや鏡の持ち手にしつらえられたハトホルの髪型も、このようになっていることがある。ほかの女神ではあまり盛られない、ハトホル特有の髪型だ。

右は巻き毛バージョン。この髪型はカデシュ女神にも見られる。複雑な編み方の髪型で、どうやらこの髪型は古代エジプト人的に「色っぽい」ものだったようだ。(着飾った婦人や、若い女性以外には見られないことから)

ロングヘアー

   巻き毛ヘアー



●クレオパトラ7世とハトホル神殿

背面左側ハトホル女神の聖域はデンデラで、古代より何度も神殿が建て直しされてきた。
現在のデンデラに立っているのは最も新しいギリシャ・ローマ時代に建てられた神殿で、背面にクレオパトラのレリーフがあることで有名。唯一現存するクレオパトラの像なのだが、エジプトの様式美に従っているため没個性な像となっている。ちなみにクレオパトラの前に立っているファラオ姿の人物は、カエサルとの間に生まれた長男カエサリオン。

デンデラのハトホル神殿の地下室には、かつて電球だオーパーツだと騒がれた壁画が存在するが、残念ながらそれはオーパーツなどではない。また、神殿自体が非常に新しい時代のもので、背面にクレオパトラが描かれていることからお察しいただけるとおり、現存する神殿のコア部分が建設されたのはプトレマイオス朝時代。厳密な意味では古代エジプトの遺跡とは言えない。

また、このハトホル神殿のクレオパトラの像がある面の中央には、破損した巨大なハトホル女神の顔がある。ちょうど至聖所の裏に当たる場所だ。



●癒しの女神として

古代エジプトにおいて、神官は医師でもあり、大きな神殿には神官たちが医学を学ぶ「生命の家(ペル・アンク)」が備わっていることが多かった。その中でも、デンデラのハトホル神殿は大規模な病気療養施設を供える場所だったようで、慈愛の女神ハトホルの救いを求める多くの人々が訪れていたようだ。
デンデラのハトホル神殿には病を癒すための施設「サナトリウム」があり、そこで眠るとハトホル女神が夢に現れて病を癒してくれると信じられたという。
その後、神殿が閉鎖されて以降も癒しの女神への信仰は続き、ハトホルのご利益に少しでもあやかろうと、人々は、神殿の柱を削って粉にして服用していたという。現在も神殿の外側下部には、石を削り取った痕跡が多数残されている。




神話

・ラーの娘とも母とも呼ばれる。頭上に太陽をいただく姿で現される。
・セトとホルスの争いにおいて、セトに傷つけられたホルスを癒す役割を果たす。
・「二人兄弟の物語」などエジプト古典において、主人公各位に運命を告げる、運命の女神としての役目がある。
・死者の書にも登場し、迷える魂を導く役目を持つ。


聖域

主にデンデラ。
他、サイス、ヘルモポリス、ヘリオポリス、クサエ、ヘラクレオポリス、エスナなど。
ヌビア、プント、シナイ半島でも信仰されていた。その場合は「バアラト・ゲバル」(”バアラト”はバアルの女性形、女主人を意味するセム語系の言葉)と呼ばれる。
プントにおけるハトホル女神の別称は「ウレルト」。
ビブロスにおける呼び名は「バアラト(女主人、女神、という一般名詞)」。アナトやアスタルテと同一視されていた。

DATA

・所有色―金、赤、黄
・所有元素―大気、水、土、火
・参加ユニット―アシウト三柱神<アヌビス、ウプウアウト、ハトホル>、ご家族<ホルベヘデティ、ハトホル、イヒ>
 プトレマイオス朝のコム・オンボ神殿限定ユニットとして、妻ハトホル、息子コンスという組み合わせになっている。
・同一化―各種母なる女神、場合によってセクメト、イシス
・神聖動物―雌牛、場合によって雌猫
・装備品―メナト、シストルム、ウアス杖など


◎補足トリビア◎
エジプトの土産物屋の人はイシスとハトホルを区別しないので、ぜんぶ「イシス」って言ってくる。
ああ、古代エジプトの後期って、こうやって各神様が混同されていったんだな〜とかシミジミ思います。
まぁ神様の名前はいいよ、でも釣りをごまかすのだけは許さないよ・・・・・!



【Index】



【シナイ半島におけるハトホル信仰】
シナイ遺跡MAP

古代エジプト人のシナイ半島への進出は、ピラミッド時代の少し前に始まる。特に、「マガラ」、「セラビト・エル・カディム」の遺跡が有名だが、ともに(今は失われ、拓本だけが残っているものを含めて)古王国時代に立てられた多くの碑文が残されていた。

マガラには、第三王朝のセケムケトが残したと思われる、アジア人を打ち倒す王の姿を描いた碑文が残されている。
これは実際に王がこの地まで侵攻したというよりも、王の命を受けた遠征隊がこの地を訪れ、先住民を追い払ったことを意味すると考えられている。また、第四王朝のスネフェルも、ここに碑文を残している。

これら初期の碑文の中で王の守護者として現れるのは、ハトホルではなくトト神だった。ハトホルは、もう一方のセラビト・エル・カディムの第十二王朝、アメンエムハト1世の時代でトト神とともに登場している。失われた碑文も多いため、どの時点からハトホルがシナイ遠征隊の守護女神としての地位を確かにしたのかは分からないが、中王国時代以降、新王国時代に至るまで、ハトホルは、アジア由来の神ソプドゥウとともに、セラビト・エル・カディムの神殿に祀られ続けた。
ただし、ハトホルの本来の信仰中心地がデンデラ(イウネト)であったことは間違いない。
シナイの神殿では、ハトホルは時折、聖蛇の女神であるウラエウスと一体化してあらわされることも、あった。

輸出されたハトホルの別名は「バアラト(女主人、バアルの女性形)」だったが、これがバアルやアスタルテらの登場するカナーンの神話と結びつき、ハトホルとアスタルテが同一視、あるいは同格の存在として扱われることになった。もともとバアラトは女神を意味する一般名であり、シナイから東に住む人々にとって「第一の女神」といえばアスタルテ(イシュタル)だったのだから、それも無理からぬことと言える。このようにして、ハトホルは「ビブロスの女主人」という名前も獲得することになる。


【Index】