このウェブサイトに創作のネタ探しに来られている方も多いかと思いますが、ページ数が多いので、どこに何があるか分からんよという人もいると思います。なので、初心者がやりがちなミスと、どの資料を見ればいいかのルート案内用にこのページを置いておきます。
※以下、中の人が書いたサイト/ブログへ飛ばす場合は直接リンク、それ以外のサイトへ飛ばす場合はURLを記載します。
●前段
日本をテーマにした外国の作品で、明らかにおかしい描写に出くわして戸惑うことはないでしょうか。
「金ピカの天守閣に住む将軍がランチにサシミを食べている」
「平安朝っぽい雰囲気なのに、天皇が亡くなったと古墳を築いて埴輪を並べている」
「大阪城の目の前に富士山が見えている」
こうした描写が出てくると、内容がどんなに真面目でも「歴史ファンタジー・シュールギャグかな?」って思いますよね。
実は古代エジプトモチーフの作品は、商業誌に載っていてもこの手のシュールな描写が多くて、作風に合わせてわざとやってるというより単にリサーチ不足だなこれ、ってなることも多かったので、今から創作する人に基本的な注意点をお伝えします。
●「古代エジプト」の範囲は3,000年、ピラミッドを作っていたのは主に中王国時代まで
まずは、ざっくり作った以下の年表を見てください。古代エジプトの歴史は長く、約3,000年の歴史があります。
単に「古代エジプト」の資料を探しただけだと、この3,000年のうちどの時代かによって縄文時代と江戸時代くらいの差が出てしまいます。
中の人が見る限り、創作物の9割くらいは新王国時代の第18〜19王朝に集中しています。(第20王朝は不人気…w)
そして、良くあるミスが新王国時代なのに何故かピラミッドを作ってしまうことです。その時代にはもうピラミッドはつくられていません…。
また、ピラミッドがまだ作られている時代でも、作られるものは次第に小型化し、付属する神殿などのほうが立派になっていきます。
新王国時代に石造りの立派なピラミッドを建てている風景はハリウッド映画のなんちゃってエジプト作品などでもよく見かけるのですが、ニンジャスレイヤーばりにシュールなシーンになりますので、出すなら作風とマッチしているかの検討をお勧めします。
ピラミッドのリストと場所はこちらを参照してください。
ものすごい数があり、有名なクフ王のピラミッドはそのうちの「特異な」1つに過ぎません。
また、最後に作られたピラミッドについてはこちらを参照してください。
●時代ごとの首都の位置について: テーベの都からはピラミッド見えない
中王国時代以降、首都が移転してピラミッドが直接見られない場所になります。
創作物でたまに見かけるのが「王宮の窓からピラミッドが見える」というシーンですが、新王国時代の首都テーベの近くにはピラミッドがありません。
最近はGoogleマップなどで風景写真が見られるので、検索してみると実際のビューの見当がつくかと思います。
ピラミッドの場所はピラミッドリストに記載をしましたが、首都の移転場所と時代のリストはこちらを参照してください。
それ以外の古代エジプト都市の位置についてはこちらを参照してください。
●ファラオの名前には「誕生名」「即位名」の区別がある
ファラオ様には五つの名前があり、「◯◯王の治世x年目」など公式文書で正式に使われる王名は「即位名」という名前なのですが、実は、本に載っていてよく知られている名前のほとんどは即位名ではありません。
クフ王は即位名が「クフ」なのですが、ジェセル王は「ネチェリケト」が即位名。
ラメセスやトトメス、ツタンカーメンやアクエンアテンといった、よく知られている新王国時代の王たちの名前は誕生名で、いわば生まれた時に与えられる「本名」みたいなもの。家臣や部下が「◯◯王」と呼ぶ時の王名が別にあります。現代人が呼んでる名前と、古代人が呼んだだろう名前は別、ということです。
ファラオの五重名についてはこちら
五重名をフルに検索できるサイトは以下(英語)
右上の「Dynasties」が王朝という意味なので、そこから対象の王朝を選択。
https://pharaoh.se/
調べたいファラオ様が第何王朝の人か判らない場合はこちらの王朝リストから探してください。
●古代人は馬に直接、乗ることが出来ない
エジプトへの馬の導入は第二中間期の終わり頃ですが、「乗馬」「騎馬」という技術はまだ、どこにも存在しません。馬に乗る技術がまだ発達していなかったため、戦場ではチャリオット(戦車)を引かせるという使い方をしていました。
古代エジプト人が馬に乗って移動する、という場面はあちこちの創作で何気なく出されてしまっているのですが、一般人がホイホイ乗馬が出来るなら複数人乗車が基本のチャリオットは非効率なので不要です。
「鞍」「あぶみ」もまだ発明されておらず、このへんを出すとオーパーツになります。
また、青銅器時代には蹄鉄も存在しません。エジプトが鉄器時代に入っていくのは紀元前1,000年以降になります。
なお、鉄器時代に入ると、重装の兵を戦場まで運ぶ送迎用ワゴンカーとしてのチャリオットが別途登場します。(主にギリシャ兵が利用)
詳細はこちらを参照してください。
●古代エジプトの王権は女系ではない
「王権は王女が引き継ぐので、正妻から生まれた王女と結婚すれば王になれる」という設定を使っているのをたまに見かけるのですが、この説は近親結婚の多さを説明するためにひねり出された、かなり古い時代の説になります。
女性の権利がかなり強く認められていた社会ではありますし、王に匹敵する権力を持つ「女王」と呼ばれる人たちも何人かいましたが、それと王位継承権の話は別です。
特にハトシェプスト女王周りでこの設定が使われているのをよく見かけますが、義理の息子であるトトメス3世がハトシェプストの娘と結婚しなくてもすんなり王位を継承しているあたりで話が破綻します。
また少し後の時代で絶大な権力を誇ったアクエンアテンの妻ネフェルティティは王族出身ですらないので、やはりここでも破綻します。
この設定を使いたい場合は、周知の事実としてではなく、何かうまいこと理由をつけて作品に当て嵌める必要があるかと思います。
説明はこちらを参照してください。
また、王女でカルトゥーシュを使った事例もあり、時代によっては女系継承の可能性もあるため、参考資料を置いておきます。
●エジプトに雨は降らない、ナイルの増水はアフリカ内陸部の雨季によるもの
沙漠の国であるエジプトに雨はほとんど降りません。特にナイル増水時期は月間降水量ゼロで推移します。
これは現代の旅行案内などでも簡単に調べがつくと思いますが、古代も現代も、エジプトに「作物の育成に役立つ恵みの雨」という概念はありません。(例外的に、地中海性気候の北部や、冬のシナイ半島なら多少の降水はあります)
作物を育てるのはナイル川から引いた水です。水路を作るか、お金持ちの家の庭園などは水やり用の使用人を雇っています。あとは地下水。
以前調べた一つの参考資料がこちらです。
ではもし雨が降ったらどうなるのかというと、地面に雨が染み込まないため、ほんの数十ミリで鉄砲水が発生します。つまり災害です。
この現象は「フラッシュ・フラッド」とも呼ばれ、砂漠の国では人や家畜が溺死する大きな原因となっています。王家の谷の王墓前にダムが作られているのも、神殿に排水溝がついているのも、数十年に一回くらいまとまって降る雨から遺跡を守るためのものです。
古代エジプトものの創作で雨のシーンを描く場合は、「砂漠の国」特有の事情に配慮するといいカンジになるかと思います。
また、ナイル川の増水はアフリカ内陸部に降った雨が、長い長い川をゆっくり流れ降りてきて、数ヶ月かけて水位を上昇させる現象です。上昇した水位は元の高さに戻るのではなく、その後、上流の乾季と連動して下がっていきます。
ナイルの増水についての簡単な説明と水位の変動グラフはこちらを参照してください。
ナイルの水源についての少し詳しいめの資料はこちらを参照してください。
ナイル上流のスーダンの洪水ニュースはこんな感じです。ダムがないとエジプトもこれに沈みます。
●王宮は日干レンガで作る、壁に文字は描かれていない
ファラオ様のお住まいが石造りの大神殿にされていることがあるのですが、神殿は寺社仏閣の類なので住まいではないです。王宮の構造サンプルとしては、日本の発掘隊が発掘していた「マルカタ王宮」などを検索してみると画像や資料が沢山出てくると思うので探してみてください。王宮は王が代替わりしたときなど好みで頻繁に作り直していたようで、日干しレンガで作って漆喰を塗るのが基本的な作り方です。
また、昔のマンガなど王宮内部の装飾(壁や天井のペイント)が墓の壁画になっているのも見かけるのですが、墓の装飾と生きてる間のおうちの装飾は別で、王宮のほうは木とか花とか鳥とかが好まれていたようです。
アマルナ王宮の内装に関しては英語資料がほとんどなのですが、一例としてこちら とか こちらを参照してください。
英語で探す場合はAmarna Palace wall picture とかの単語でググるといっぱい出てきます。
●古代エジプト人は必ずしも髪の毛を剃らない
一昔前の資料では、「身分の高い人はシラミ対策のために髪の毛を剃ってカツラを被った」と書かれていることがありますが、髪の毛を必ず剃るのは神官だけで、別に高位の人が必ずカツラにするわけではありません。実際、王族や貴族のミイラでは髪の毛フサフサの人が多いです。
サンプル画像はこちらとかこちらを参照してください。
また、アマルナ時代のミイラの髪型から、髪染めやエクステが既にあったことが分かっています。詳細はこちらから参照してください。
カツラについてのサンプル画像はこちらですが、ぶっちゃけこのくらいなら検索しても沢山でてくるかと思います。
一方で、創作物でよく出てくる黒髪おかっぱの髪型は、実際には古代エジプト人の髪型として見かけません。というよりアジア人の髪質でないとその髪型は出来ないと思われます。前髪からきっちり二つに分けて襟足を揃えた髪型(カツラ)はよく見かけるので、おそらくそこから何か勘違いして派生したものだと思われます。
サンプル画像はこちらです。
また、おかっぱに近い髪型を探した結果がこちらです。オシャレするならストレート髪より癖っ毛or編み込みが普通のようです。
●古代エジプトに奴隷はほぼ居ない・宦官は出てこない
古代エジプトは奴隷をほとんど使っていませんでした。逃亡したり反抗しがちな奴隷よりは、勤勉な農民のほうが役に立ちます。実際、国民の大半が農民で、一生その土地にいる、というのが古代エジプト世界の特徴の一つでした。
債務奴隷(税金払えないとか借金したとか)や戦争捕虜であれば存在したようです。
また、外国から連れてくる場合は「高度な技能を持って外国から出稼ぎに来る人」とか「技能を人間ごと輸入する」に近い概念で、エジプト人より高給取りだった奴隷や、技能持ちの奴隷を貸し借りした記録も残っています。古代世界だから奴隷出しても問題ないやろとカジュアルに惨めな立場の奴隷を出してしまうと、古代エジプトらしさが消えます。
説明はこちらを参照ください。
戦争捕虜の扱いについては、こちらなども参考にしてください。
ピラミッドなどの大規模建造物を作っていたのも、奴隷ではなく専門or期間工の労働者だったと最近の研究で分かっています。
宦官も同様で、王のハーレムがあったにも関わらず、古代エジプトで使われていた証拠は在りません。出てくるのはペルシア支配以降の時代。
奴隷・宦官が多様されていたのはメソポタミアです。
以上、色々書いてきましたが、細かいところはこだわりだすとキリがないです。
中世ヨーロッパ風ファンタジー小説が、リアルな中世ヨーロッパにしてしまうと縛りが大きすぎて話が進まなくなってしまうように、古代エジプト風だからといって必ずしも歴史に忠実にする必要はないと思っています。
ただ、何も知らずにやってるのと、基本的なところを分かってやってるのは全然別です。
死者の書の呪文がビッシリ描かれた王宮で暮らす金ピカなファラオが馬に乗って爆走しても、それが馴染む作風なら別に構わないんですが、シリアスな歴史モノで展開されると微妙ですよね。
チェイテピラミッド姫路城は何でもアリなFGOでイベントだったから許されるんだぞ…。
創作物から古代エジプトに入った人が勘違いしたままなのも、明らかに違和感のある描写が史実として定着してしまうのも、中の人の望むところではありません。
また、過去の創作物を踏襲して余計な描写を入れたために、かえって違和感が増している作品もあります。
たとえば、「馬に乗る」「雨が降る」などは、作品に必須ではないにも関わらず何気なく差し込まれていることが多い描写です。その部分を別のものに差し替えるだけで違和感は大幅に減るので、各所の創作者の皆さんにはぜひご検討いただきたいです。
資料へのアクセスが簡単になった今のご時世だからこそ、ぜひ、(根本的なところでツッコまずに済む)面白い作品を作って世に出して欲しいと思っています。