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プトレマイオス王朝
支配年代;前51年-47年
誕生名; プトレマイオス
即位名;
添名; フィロパトル(愛父者)、フィロメトル(愛姉者)
治世;4年
王朝の首都;アレキサンドリア 埋葬地;アレキサンドリア 出身地; キュロス?
家族構成; 父 プトレマイオス12世 母 クレオパトラ6世? 姉/妻 クレオパトラ7世 弟
プトレマイオス14世 姉 ベレニケ4世 妹 アルシノエ4世
夫婦になったとき、姉である女王クレオパトラ18歳、プトレマイオス13世は10歳。
このとき宮廷内では陰謀が渦巻いており、若き王に姉と絶縁して王権を握るようにと唆した奸臣たちがいた。
王はその言に従って姉を追放。クレオパトラはローマに保護を求めるが、当時ローマはカエサルとポンペイウスによる内乱真っ最中だった。
クレオパトラはポンペイウスに援助を与えるが、ポンペイウスは敗戦しエジプトに戻ってくる。クレオパトラの軍と対決目前にあったプトレマイオス13世は、ポンペイウスを迎え入れるが殺害し、その遺体を辱めたという。
のちに政敵ポンペイウスを追ってエジプトにやって来たカエサルは、ポンペイウスに代わりエジプトの内乱仲裁に乗り出す。そこでクレオパトラ7世と出会い、惚れ込んでしまう。
面白くないのはプトレマイオス13世、ローマ軍の駐留をよしとせず、あの手この手で嫌がらせをし、住民を蜂起さえさせる。結局、プトレマイオス13世とカエサルの軍は激突し、敗北したプトレマイオス13世はナイルに入水して自害したという。(※事故死とする説もある。いずれにせよ水死とされる)
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