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プトレマイオス王朝
支配年代;前年170-163年/145-116年
誕生名; プトレマイオス
即位名;
添名; エウエルゲテス(善行者)
治世;36年
王朝の首都; 埋葬地; 出身地;
家族構成; 兄 プトレマイオス6世 妹(のちの妻) クレオパトラ2世 継子 プトレマイオス7世 実子 メンファイテス
史上まれに見る外道王。このあたりのプトレマイオス王朝は昼ドラでもちょっとない展開を見せる。
太鼓腹、という意味の「フュスコン」と呼ばれた不摂生な王で、国民からはかなり嫌われていたらしい。
兄プトレマイオス6世とエジプトの支配権を争うものの、ローマの調停によってキプロスのみを治めるようになっていたが、兄の死後エジプトに舞い戻り、兄の妻と息子のプトレマイオス7世を追い出してしまう。
のち、プトレマイオス7世の相続権は認めるという条件で兄の妻であり妹でもあったクレオパトラ2世と結婚するが、息子メンファイテスが生まれるや、血の繋がらないプトレマイオス7世をあっさり殺害。さらに兄と妹の子であるクレオパトラ3世(実の姪)にも懸想し、王妃にしてしまう。
こんなことをしている間に国民の不満が爆発。クレオパトラ2世が支持され、プトレマイオス8世はクレオパトラ3世を連れてキプロスへ逃亡。そのさい、クレオパトラ2世との間に生まれた世継ぎメンファイテスを殺して誕生日の贈り物として送り返すという念の入れよう。(163年)
のち、プトレマイオス8世はクレオパトラ2世と和解してエジプトへ戻り、再びエジプトを統治するようになる。(145年)
クレオパトラ2世はプトレマイオス8世より先に亡くなったようで、この嫌われた王が死んだとき、妻クレオパトラ3世がエジプト後継者となる。
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