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マケドニア王家

アレキサンダー3世
(アレクサンドロス)

支配年代;前332年-323年
誕生名; なし
即位名; メリアメン・セテプエンラー
(アメン神に愛され、ラー神を満足させるもの)
治世;9年



王朝の首都;ペラ(マケドニア首都) 
埋葬地;アレクサンドリア(伝承) 
出身地; ペラ

家族構成; 父・フィリッポス2世 異母兄弟・アリダイオス 妻・ロクサネ 息子・アレキサンダー4世ほか

ご存知世界の有名人、「アレキサンダー大王」である。
ペルシア支配下のエジプトに進軍し、ペルシア軍を駆逐してエジプトを「解放」した。これによりエジプトは、アレキサンダー大王の作った広大な帝国の一部として組み込まれ、マケドニアに属する一地方となる。エジプト人から即位名を与えられ、正式にエジプトのファラオとして認められた王である。

(アレキサンダー大王の一生、業績その他については、ほかにいくらでも資料あるってことで割愛…)

ちなみに、大王の死後、分裂した帝国のうちエジプトをとる「プトレマイオス」という人物は、大王の将軍の息子でエジプト総督という立場にあった。
彼は東方遠征からの帰路の途中で死亡するが、プトレマイオスはその遺体を帰路の途中で奪い、大王の名にちなんだ町アレキサンドリアに墓所を作って埋葬した。
のちに三分割されることになるアレキサンダーの帝国だが、その中でもプトレマイオス朝エジプトはもっとも最後まで生き残り、かつ最も繁栄した国となる。


尚、エジプトの地中海岸にある一大都市アレキサンドリアは、その名の示すように、アレキサンダーによって構想され、建築された都市である。工事は建設家「ロドスのディノクラテス」に任された、とプルタルコスは書いている。尚、当時は海岸線が今よりも沖合いにあったため、建設当時のアレクサンドリアの町の大半は海中に没している。

■オマケ類

イスタンブール:国立考古学博物館 アレキサンダーの棺とシドンの出土品
アレキサンダー大王がペルシャ遠征の時に通過したかもしれない?「失われた都市」が発見される。
エジプト・アレキサンドリアで発見の棺が「ミステリー」と呼ばれることのミステリー


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