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末期王朝時代 第25王朝
Tanwetamani/Tantamani
在位年代;前664-655年頃王朝の首都;ナパタ→カワ
埋葬地;ヌリ(tomb 3) または エル・クール(K16)
出身地; ナパタ周辺またはメンフィス
家族構成; 父・シャバカ 叔父・タハルカ
第25王朝、最後の王。ヌビア人の王によるエジプト支配はここで途切れる。
タハルカの死後、タヌトアメンはいったんはメンフィスまでを取り戻すも、紀元前664年から663年にかけてのアッシュールパニパル王の侵攻を食い止めることが出来ず、テーベまで奪われ、ナパタまで撤退。以降はエジプトを取り戻そうとしないばかりか、首都の位置を、ナパタから、さらに南(エジプトから遠くなる)のメロエという地域に移転させる。エジプトは、アッシリアの後ろ盾を得た第26王朝の支配下となる。
以降、メロエでは、エジプト支配の間に吸収したエジプト文化をアレンジしながら継承する「メロエ文化」が花開き、ヒエログリアに似せた独自の「メロエ文字」も作られる。この文字は、形こそヒエログリフに似ているものの発音自体は古ヌビア語に沿っていると考えられており、いまだ解読は出来ていない。
メロエの黒いピラミッド群は、もはや手の届かなくなったエジプトへの遠い憧憬と、甘い思い出の象徴である。
タヌトアメンは、エジプト奪還を「夢の中で神に命じられた」とする「夢の碑文」を残している。
これは、かつてトトメス4世がスフィンクスの足元で昼寝をしていたらスフィンクスに「掘り出してくれたら王にしてやる」と話しかけられた、とする「夢の碑文」とソックリな構造である。
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