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新王国時代 第20王朝

ラメセス5世

RamessesX

在位年代;前1149−1146年
誕生名;ラメセス(ラーの創りし者)
即位名;ウセルマアトラー(力強きはラーの正義)
マネトー名;アメンヒルコプシェフ1世
治世;5年

王朝の首都;テーベ 
埋葬地;王家の谷(KV9) 
出身地;テーベ

家族構成;父/ラメセス4世 母/テントオペト 妻/ヘヌトワティ、タウェレッテルウ

父はラメセス4世。(ラメセス3世とする説をとる本もあるが…。)王子時代の名前はアメンヒルコプシェフとされる。


●「かつての」世界最古の天然痘患者説

王のミイラには天然痘らしき跡があったため、かつては病に倒れたという説が有力だった。「天然痘で死んだことが確実な最古の例」と書かれることがあるのはそのため。しかし、2016年の論文で、ウィルスのDNA解析からは天然痘の起源が16世紀までしか遡れないという研究が出ており、この説は怪しくなってきた。当該研究では、ウィルスのDNAにほとんど変化が見られず、誕生してからそれほど時間が経っていないことが示唆されている。つまり、それ以前の古代人に見られる天然痘らしき痕跡は、実は見た目が似ているだけの別の病気の可能性があるということだ。
ただし、近代の天然痘に繋がらない亜種については既にあった可能性もあり、目下研究中となっている。2020年現在では、数千年もさかのぼるほどの遺伝的なバリエーションや、古代人が罹患していた証拠が見つかっていない。

[>関連する研究
ヴァイキングが天然痘に悩まされていた可能性が、遺体からのDNA回収で示唆される
古代エジプトで流行ったものは天然痘だったのか。それとも「サル痘」だったのか。

死因は何にせよ、跡継ぎはいなかったようで、王位は父の兄弟へと移る。


●ミイラの状態

発見場所は「第二のロイヤル・カシェ」で保存状態は他の王のミイラに比べるとかなり良い。
ただし盗掘者が装飾品を奪うため、左手の指を切り落とした形跡がある。ミイラの腹部には内臓を取り出すための切り込みが入れられ、通常はその後閉じられるのだが、この王は開いたままとなっていた。また、保存状態が良いためか、なぜか報告書に「陰嚢がとても大きい」と書かれている。なおタマの記述はあったがサオについて資料と学者は沈黙を守っている。


●治世状況

アメン神官団が国政を握っており、4年ないし5年の治世の間、王自身はほとんど国政に関与していなかったとする説がある。短い治世の間に、王はヘリオポリスとブヘンに神殿を築いている。


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