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古王国時代 第5王朝
Userkaf
王朝の首都;ヘリオポリス
埋葬地;北サッカラ
出身地;ヘリオポリス
家族;
祖父/ジェドエフラー(クフ王の息子) 父/メンカウラー?
母/ケンタカウエス(メンカウラーの王妃? ギザ台地にピラミッドを持つ)
妻/ケンタカウエス(メンカウラー王の娘?)
この王をもって第五王朝の始まりとされているが、祖父がクフ王の息子であることから、実際は第四王朝の血流を汲んでいる。
ケンタカウエスという名の女性は二人いるようで、一人は「上下エジプト王の母」と呼ばれ、おそらく第四王朝の血筋。
マネトーによれば、ケンタカウエスの統治のあと、王朝が交代したとなっているため、メンカウラーには王位を継げる息子がいなかったのだろう。
ウセルカフはもう一人のケンタカウエス(おそらくメンカウラーの娘)を妻として王位継承権を手に入れた、と推測される。支配者の血筋は変わっておらず、クフ王から別れた王家の親戚同士で結婚しているので、第四−第五王朝への移行による劇的な変化は無かったものと思われる。
太陽信仰の中心地ヘリオポリスの出身だけに、「太陽王」と呼ばれたほど、太陽信仰に熱心だった。ベンベン石を原型とするオベリスクを持つ太陽神殿を建設し、これが後の太陽神殿のモデルとなっていく。
第四王朝で頂点に達した太陽神ラーへの信仰は、第五王朝頃から「ラーは王の実の父である」という信仰に変化していく。
「ウェストカー・パピルスの物語」に記された、第四王朝から第五王朝への変遷を語る、後世に作られた物語では、のちに第五王朝の王となる三つ子はラー神の実の子であり、ラーが王となるよう定め、その誕生を祝福するよう神々を送ったとされている。
治世年について、トリノ王名表では7年、マネトーは28年としている。パレルモ・ストーンからは最低でも6年。上限は12-14年くらいと考えられている。
▲ピラミッドデータ:
サッカラ、真正ピラミッド
第5王朝から、ピラミッドの重要性が薄れ、太陽神殿の建築のほうが重要視されるようになっていく。
ピラミッド自体は質の悪い石で作られるようになったためあまり保存状態はよくない。ただし太陽神殿については良質な石とすばらしいレリーフで覆われ、… て、いたと推測される。推測される、というのは、後世に、その良質な石をさっくり別のところに転用されてしまったから。ピラミッドだと石はがしに行くのも面倒だが、神殿だと解体は比較的簡単だったようだ。
太陽神殿は全部で6つ作られたと記録されているが、現在ではふたつしか場所が分からない。
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