┃サイトTOP┃別館TOP┃コンテンツTOP┃ |
古王国時代 第4王朝
Khafra
王朝の首都;メンフィス
埋葬地;ギザの第ニピラミッド
出身地;メンフィス
家族構成;父/クフ 母/ヘヌトセン 妻たち/メルサンク3世、カメレルネブチ1世
息子/ネクラー、メンカウラー 娘/カメレルネブチ2世
"12人の息子と3-4人の娘"がいたとされる
クフ王の王子のひとり。兄が2人おり、王位継承順位は低かったようだが、兄たちの早世などの事情から即位に至ったようだ。おそらく、年若い時に即位したものと思われる。
ギザの台地に第2の大ピラミッドとスフィンクスを建造した。大ピラミッド前のスフィンクスは「ラー・ホルアクティ神(地平線のホルス)」をあらわしている。
治世年について、25年目までは確実視されている。26年目の途中で亡くなった説もあり、現在のところ最大で26年。
▲ピラミッドデータ:
ギザ、第二のピラミッド
古名「カフラーは偉大なり」
元の高さ:143.5m 底辺:215.25m 傾斜角:53度10'
推定体積:1,.659.200立法メートル
元々の高さはクフ王よりやや低かったが、後世にクフ王のピラミッドの表面に使われていた化粧石が剥がれ落ちた結果、現在ではこちらのピラミッドのほうが高い。ギザに並び立つ三つのピラミッドのうち、カフラーのピラミッドの頂上付近には辛うじて化粧石の残りが白くくっついている。
なお、化粧石が剥がれた理由については、「街を作るために剥ぎ取られた」説よりも、最近では「地震や経年劣化で自然に剥がれ落ちたものが拾われて再利用された」のほうが有力になっていると思われる。ピラミッドの上まで登って石をひっぺがすのは、面倒くさいし危険だからだ。
ピラミッド内部には、1818年3月2日にジョバンニ・バッティスタ・ベルツォーニによって刻まれた記念落書きが残されているが、最初にピラミッドに入ったのは彼ではない。12世紀のアラビア語の落書きが残されていたことから、イスラム教下に入った時点で既に入り口は開かれていたと思われる。
前へ | 時代の索引へ | 次へ |