中世騎士文学

サイトTOP2号館TOPコンテンツTOP

騎士の基本装備


 騎士、といっても、四六時中フル装備で出歩くわけにはいかなかった。狩りのため森に入る時は、当然、身軽な格好でなくてはならなかったし、鎧は非常に重い。何しろフル装備で50キロもあったというのだから。
 決闘に赴くに際し、騎士の装備品として、基本的なものは、だいたい以下のようなもの。騎士文学には、決闘シーンでそれぞれについて詳細に描写することが多く、華々しく着飾った騎士たち、嗜好を凝らして整えられた武器防具が、目に浮かぶようだ。


◆鎧

鎧というと、プレートアーマーを思い浮かべる人が多いかと思うが、騎士文化華やかなりしシュタウフェン朝時代は、チェーンメイルが基本。要するに鎖帷子だ。動き易く、軽く、通気性に優れるのだから、鎖帷子が選ばれたのも無理も無い。ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハの「パルチヴァール」冒頭では、騎士を見たことの無い主人公が、騎士の鎧を見て「指輪を繋げて着ている」と勘違いするシーンがあるが、ちょうどチェーンメイルの輪が、指輪に見えたのだろう。

素肌や薄いシャツの上から重い鎖鎧を切ると、肉にめり込んで痛いので、綿いりのふんわりした下地を着るのが一般的。
また、鎧の上には、腰まである袖なしの軍衣がつけられた。(というのも、直射日光が鎖鎧に当たると熱いからだ)

鎧で覆われていない部分が狙われると危険なので、チェーンメイルは腕や足も覆っていた。また、剣を下げるため、腰のあたりには切れ込みがあった。鎖の上に金属板を貼るようになったのは、13世紀の後半からとされる。

◆兜

もちろん兜も重要な防具だ。形は様々で、たらい状のものから鼻だけ覆う板が延びているものを被っていた時代もあれば、バケツ状の兜をすっぽり被っていた時代もある。また、よく写本の挿絵にあるのだが、兜の上に派手な飾り(たとえばドラゴン)をつけて戦った騎士もいる。
しかし重い…。鉄の塊なので、ハンパではないのだ。頭を痛めないよう頭巾を被り、その上から兜をつけるのだが、兜で顔を隠してしまうと、もはや誰が誰だか分からない。そのため、騎士叙事詩では、相手を友達と知らず戦ってしまったという場面が多い。

兜はあまりにも重いので、戦っている最中に呼吸困難になって倒れる騎士もいた。また、殴られて兜が変形したために脱げなくなり、鍛冶屋を呼んだとか、痛ましいことに顔がつぶれて死んでしまった、などという、笑えない記録も残されている。

◆槍

槍は主に馬上からの突進に使うもので、折れることを前提としているが、派手な色を塗ったり、旗を飾ったりして準備された。
後世になると、派手に砕けるよう、わざと切れ込みを入れた槍を使うのだが、12-13世紀あたりは、そのような細工なく本当にぶつかった衝撃で槍が砕けていたようだ。
標準的な長さは3mから3.5m、重さは6kgから8kg。試合で使う槍は、殺傷力を高めるために先を割いたものなどは用いられなかったが、相手を確実に馬から突き落とすため、頑丈に作られていたという。

槍は、剣とともに正規の騎士が扱うことの出来た武器である。槍と剣以外の武器は、騎士にとって好ましくないものとされ、正規の試合では用いられなくなっていた。

◆剣

馬に乗ったまま剣を振るうのは「行儀の悪い戦い」とされていた。剣は馬から降りて戦うためのものである。長い剣を装備した騎士はおらず(馬に乗るのにジャマだから)、腰に下げて歩けるくらいの長さだった。物語に出てくる騎士たちの剣には名前がついているものが多く、剣を愛好する人々はそれについての様々なデータを集めているが、それらは空想から生み出されたもので、現実に存在するものではない。

◆盾と紋章

盾には通常、紋章が描かれた。初期には家紋というより、個人を識別するためのもので、同じ家族内、たとえば兄弟であっても違う。
これは、紋章が、フル装備だと誰が誰だかわからなくなってしまう戦場において、敵味方を区別するためのものでもあったからだ。有名な騎士の紋章は、どこに行っても一目でそれと分かったという。
しかし逆に、紋章さえ取り替えてしまえば誰だか分からないわけで、時に装備品だけ摩り替えて一騎打ちに代役をたてるようなことも(物語の中では)行われた。
13世紀の中ごろになってくると、紋章は、父から子へと受け継がれる「家紋」の役割を果たすようになる。

また、時に、紋章には願掛けのような意味もあったようだ。
たとえばヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ「パルチヴァール」プロローグでは、パルチヴァールの父・ガハムレトが、馬具、盾、衣服に白い錨の紋章をつけている。錨は希望と長期滞在の象徴であったとされ、放浪する騎士には相応しかったとある。錨を投げ下ろした場所が旅の終着点、というわけだ。

馬上での槍の着き合いで槍が砕けるほどだったのだから、その突進を防ぐ盾も、当然、大きく、丈夫なものでなくてはならなかった。盾は通常、木の板の上に金属をかぶせる形で作られ、支え易いよう裏に取っ手がついていた。12世紀ごろには、二等辺三角形の、1mを越えるものが使われており、戦死者を、その死者の使っていた盾に載せて運ぶこともあった。また、大きくて支えにくいため、首からベルトで吊るしつつ、左手で支えるという方法もとられていた。

◆馬&馬の飾り

騎士は自分の馬に愛着を持っていたのか、というと、意外に、個々への愛着は持っていなかったようだ。
もちろん名前のついている馬、騎士のよき相棒として描かれる名馬もあったが、基本的に馬=資産として、戦場では財産という意味で取られていた。馬上の人間を突き落としてその馬を奪えば、自分の資産が増える。また、人間を捕らえて身代に馬をよこせと要求することも出来る。
軍馬は、途中で乗り換えるために何頭か準備されることもあったし、敵から奪ったものに乗り換えることもあった。

また、騎士とは馬に乗る職業である以上、落馬は不名誉も意味した。味方が馬をなくしているのを見つけ、敵から馬を奪って与えた…などという描写も、時折見かける。

決闘に際して、馬は、きらびやかな布で着飾らせられるのが一般的だった。写本の挿絵では、長いカーテンのような織物で、馬のほぼ全身が覆われている。時にはユニコーンのように、馬の額にツノをつけてみたり、鬣を三つ網状にしてみたり。とかく格好よく、派手に。

◇斧、投げ槍、短剣

これらは、騎士の装備としては相応しくないとされていたものだ。
斧を使った決闘シーンが無いわけではない…だろうが、斧を装備して馬に乗った騎士には、今のところ出会ったことがない。
また、投げ槍は、12世紀に入ってからは「猟に使うもので騎士が持つには下品」とされ、使われなくなったという。
短剣は、「マビノギオン」に登場するケルト的な要素を残した騎士たちなら所有している。なお、「マビノギオン」に記されている限りでは、短剣の使い道は「投げて的に当てる」というものだったようだ。

◇弓

アーサー王の円卓の騎士の一人に数えられるトリスタンは、「黄金の射手」の異名を持つ弓の名手だが、試合で弓を使っていたわけではない。狩猟は騎士たちのスポーツであり、彼が弓の腕前を見せたのは、獲物を追いつめる森の中だったようだ。




戻る