アイスランド・サガ −ICELANDIC SAGA

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ドラング島への渡航



 グレティルは父には愛されなかった。だが、母には愛された。
 家に戻った息子を迎えた老いた母は、ここにいなさいと頼むが、グレティルはすぐに出て行くと告げる。
 そのとき、グレティルの年の離れた弟、アースムンドの三男イルギは、15歳になっていた。
 彼が、ほとんど顔をあわせたことも無く、まして罪人として追放されている兄と共に行きたいと言ったのは、耳にする噂が悪いものだけではなかったから、ということか。

 怨霊グラームと戦い、死に際のその目の中に言い知れない絶望の闇を見て以来、一人で夜を過ごすことを恐れるようになっていたグレティルだったが、度重なる裏切りによって、人と共に暮らすことを拒むようになっていた。そのグレティルに、「身内の僕ならは側にいても大丈夫だ」と、イルギは言う。「兄さんが生きている限り、裏切りも見捨てもしない」と。

 二人の母アースディースは、これが息子たちとの、長い別れになることを予感していた。
 彼女の最初の息子は殺され、既にこの世にはいない。そして今、残る二人の息子たちも、帰らぬ旅に出ようとしている。

 イルギは喜んでグレティルと運命をともにする道を選んだ。彼らは旅立った。親戚縁者をまわり、やがて秋が過ぎる頃、スカガ・フィヨルドにたどり着いた。
 ここで出会ったのは、決まった家も職もなく、ぶらぶらしているだけの、信用ならないトルビエルンという男だった。
 男は、グレティルたちに、自分を下男として連れて行って欲しいと言う。断ったがどうしてもついていきたいという男に、グレティルたちは渋々と同行を許した。そして、この男に、「グラウム(騒々しい)」という綽名をつけた。

 グレティルは、母親からもらった路銀を賄賂に使い、弟イルギと下男グラウムを連れ、三人でドラング島へ渡った。
 この島は近隣の豪族たちが、羊の放牧をするための島で、羊たちを放牧していた。グレティルたちは、ここを羊ごと乗っ取ったのである。
 島の周囲は断崖になり、はしごをかけなければ登れなかった。外敵からは身を守りやすかった。だが、それは来る者を拒むと共に、自分たちをも閉じ込める。
 もはや逃げ場所のなくなった男は、最後に、出口のない砦に閉じこもったというわけだ。

 さて、この島に権利を持つ者の一人に、「釣針のトルビエルン」という男がいた。無愛想で喧嘩っ早い男で継母との折り合いが悪かった。継母との喧嘩で顔に鈎針の傷を負ったが、継母のほうはトルビエルンに殴られて寝込み、やがて死んでしまった。
 こんな乱暴な逸話を持つ男が、黙っているはずもなく、人々も、トルビエルンがグレティルを島から追い出してくれるものと期待していた。

 トルビルンは、どんな崖ても登れるというヘーリングという男を雇ってドラング島に差し向ける。はしごが無ければ誰も島へは上がれない、と思い込んでいるグレティルの隙をつこうというのである。
 だが、いつもは運命に見放されているグレティルに、この時ばかりは運が味方した。それとも、これは弟イルギのぶんの幸運だったのか。
 イルギが気がついたとき、ちょうどヘーリングがこちらに向かってくるところだった。
 イルギはヘーリングに立ち向かい、かなわないと思ったヘーリングは崖から身を投げ、崖下の岩で全身の骨を打ち砕いて、生涯を終えた。
 この失敗に気を悪くしたトルビエルンは、年老いた養母にすがり、知恵を借りようとした。

 その頃、キリスト教は国教として認められてはいたが、まだ、それほど人々の間に受け入れられてはいない。異教の儀式も、相変わらず存在し続けていた。
 トルビエルンの養母は、異教の知恵に長けた女だった。
 船でドラング島に向かった彼女は、グレティルとトルビエルンの会話を聞き、即座に、グレティルが運に見放された男と見抜き、おぞましい予言を投げかける。それを聞いたグレティルは、かつてグラームに受けた、あのぞっとするような予言を思い出す。

 彼は危険を察知し、石を投げた。船まで届くとは到底思われなかった石だが、グレティルの力は強い。それは、老婆の足を砕き、トルビエルンにひどい屈辱を味わわせた。
 だが老婆は足を砕かれても元気で、グレティルに仕返しをしてやると息巻いていた。
 一ヶ月もすると老婆はまた歩き出し、グレティルのもとに災いを届けるべく、浜辺で木の根にルーンを刻むのだった。

 ドラング島では、冬をしのぐための火を燃やす木材は、すべて流木に頼っていた。浜から流された木は、ドラング島に、つまりグレティルのもとに流れ着くはずだった。
 呪いのルーンを刻み、儀式を施されて送り出された木は、狙ったように島にたどり着く。
 最初に見つけたのはグレティルだ。しかし彼は、この木がなにやら良からぬもののように思えて、手を出さない。
 それでも、何度捨てても、木は島へと流れ戻ってくるのだった。

 木を拾い上げたのは、やはりグラウムであった。この男は、グレティルにとって、一度もよいことはしなかった。
 短気を起こして振り上げた斧が木に触れたとき、刃は定められた運命の軌跡のように横すべりし、グレティルの右ひざの上を切り裂いた。
 傷は、一時は治るかに思えた。…だが、三日たったとき、その傷はむらさき色に膨れ上がり、膿を出し、ひどい激痛でグレティルは眠ることさえ出来なくなった。(破傷風だったのではないかと言われている)

 老婆の呪術は成された。そして、グレティルが病に倒れたちょうどこの時、トルビエルンは、手勢を集めてドラング島を襲おうとしていた。


※ワンポイント
破傷風の潜伏期間は2日から数週間程度。発病が早いほど「悪性」とされ、一週間以内に発病した場合の死亡率は50%にも達する。
呼吸困難や全身の筋肉硬直が見られ、最後にはえび反り状態になって死に至る。グレティルの場合、発病は3日とかなり早い。つまり、そのぶん死亡率は高かったということ。死後、剣を手放さなかったというのも、筋肉の硬直のためだと思われる。

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