−スリュムの歌・つづき3−
宴の準備を整えて、フレイヤ到着を今か今かと待ち受けていたスリュムさんは、大喜びで偽花嫁と侍女を迎えいれます。
「さあ、婚礼の始まりだ。花嫁を座へ! ニョルズの娘(フレイヤのこと)を迎えるのだ!」
人々は、わらわらと広間へ集まります。本当言うと、来てたのはオーディンの息子だったんですが^^;
それで誰も気がつかないっていうんですから、巨人さんたち、ちょっと間抜けです。スリュムさんはもとより、有頂天になりすぎて、目の前にいるのが天敵だとは、気がついていないのです。
「おい、トール。トールってば」
「……。」
「トール。いつまで呆けてんだよ」
花嫁の後ろにかしづいたロキさん扮する侍女は、それとなく囁きます。
「お前の槌は、どこにあるんだろうな? ヤツめ、早いとこそれを出してくれりゃアいいんだが。」
トールさんの槌は、単に巨人たちをブチのめすための道具ではありません。結婚式の時の花嫁を清めるという役目もありました。
言ってみりゃ「家内の雷」「おふくろの拳骨」というやつで、奥さんの怒りは雷の如く、おかんの拳骨はミョルニルの一撃のごとく、と、いうわけです。(嘘)
スリュムが婚礼の儀式をはじめればしめたもの、トールさん扮する花嫁は、堂々とミョルニルに近づくことが出来るはず。
が、しかーし。
いい気持ちになっているスリュムさん、なかなか儀式を始めようとしません。
「わはは。飲めや歌えや」
ドンチャン騒ぎが始まります。目の前には、ごちそうがタップリ並べられています。本来おおめしぐらいのロキさんも、我慢して女らしく小食を装います。
「あーあ。こういうとき女は辛いよな。どうして女ってヤツぁ、メシも食わねーのによく動くんだろ。なぁ、トール」
返事がありません。
「トー…げっ」
なんと。ぼーっとしたトールさん、目の前に置かれた山ようなご馳走を、ほとんど無意識に、平らげてしまっていたのでした。
何せここのところ、花嫁修業が厳しくて、ロクなものも食べていませんでしたから。ロキさんは慌てます。
「お前な…幾ら腹減ってたからって、そんなに食うヤツがいるかよ、バカっ」
「ははは。わが花嫁殿の様子はどうかなぁ?」
(うわヤベッ)
ほろ酔い加減、上機嫌のスリュムさんが、千鳥足でやって来ました。
そこには、カラッポになった皿と酒の樽がごろごろと。
「……。」
スリュムさん、沈黙。
「な、な、何だ! この凄まじい食欲は?! こんな娘は見たことがないぞ! これでは食費だけで家が傾いてしまうぞ」
そりゃそうだろう。
「いいえ。いつもこうなのではありませんわ。フレイヤ様はもう八晩も何も召し上がっておられなかったのです。」
機転の利くロキさんは、とっさにか細い声で嘘をつきました。
「物も喉を通らないほど、それはそれは巨人の国を焦がれていらっしゃいましたの…ほほほ」
「なんと! そうであったのか。愛い奴よ。どれ。では、その花のかんばせをわしに見せておくれ。」
巨人さんは単純でした。
つ、と花嫁のヴェールに手をかけ、口付けをしようとして、そして…
「うおっ!」
ビビって飛びのきました。今度こそバレたか?!
「な…何だ! この凄まじい眼差しは?! 血走って火が噴出しているようではないか!」
「ほほほ、血走っているのは寝不足のためですわ。フレイヤ様は八晩も一睡もしていらっしゃいませんの。それはそれは婿殿のことを思っておいででしたのよ。」
「……。」
「イヤですわ。そんな顔をなさらなくっても。見つめる視線がいかに熱く、あなたのハートをどきゅんと射抜いたからと言って、怯えるなんて。」
「なんだか…今の目は、前にも見たことがあるような気がするのだが…。」
「スリュム様は夢にフレイヤ様を思っておいでだったのですよ。さあ婚礼をはじめましょう。これ以上待たせては、フレイヤ様がお可愛そう」
ロキさんはたくみに話をすすめ、スリュムが、自分の胸に生じた疑いの正体を知る以前に追い払ってしまいました。首をひねりながらもスリュムは、しかし、首にブリーシンガルをつけてるんだからフレイヤに間違いなかろう、と思い込んでいます。
そこへ、スリュムさんの姉さんがやってきました。この歳でまだ嫁にも行かず、というのは余計なお世話でしたか。宴の合間に、冷やかしかましに来たようです。
「ふぅん…。アンタが弟の嫁になるフレイヤ? 女神の中でいちばん美しいとかって話だけど、別にそうでもないわよねえ? アタシのほうが美人じゃなぁい?」
「……。(なんだこの女)」
ロキさんは心の中でムカっとしますが、だからと言ってフレイヤのほうが美人だとか言って褒めるつもりはさらさらなく、ここでケンカしようものなら、彼自身の身も危ういので黙ったまんまです。
「いい? 嫁になったらアタシがこの家の作法をしっかり教えてあげるわ。さ、可愛がってもらいたかったら、アンタの腕にはめてる、その腕輪をお寄越しッ」
トールは、何もいわずに腕輪を外し、巨人の姉に渡しました。
いつものトールさんなら考えられません。
暴れだして、巨人の頭をブチ割ってます。しかし、今日は本当に、おとなしく従順な花嫁になりきっているかのようでした。
「頑張ってるじゃねぇか、トール…」
言いかけて、ふと、ヴェールの下を覗き込んだロキは、思わず息を飲みました。
燃える双眸。そこには、化粧ぬったくった上に、目が血走って今にも火を噴出しそうな、凄まじい形相がありました。
(ヤバイ。キレてる、キレてるよ。トールがキレてるよ…)
自制の糸がぷつりと切れたら、どうなることか。ロキさんの背筋に冷や汗が伝います。
「さあ、婚礼だ! オイ、例の槌を持ってこい」
ロキさんはハッとして、奥のほうから運ばれてくるトールの槌を見ました。
巨人たち何人かがかりで、広間へ運んできます。
「さあ花嫁を清めるのだ。槌を彼女の膝に」
スリュムが槌の柄を掴み、トールの目の前に翳そうとした瞬間でした。
花嫁衣裳の下から伸びた、ぶっとい腕が、ガッチリとミョルニルの柄を掴みました。
「な?!」
「そいつは、てめェらの手にするもんじゃねぇ…」
低く、くぐもった声。そしてヴェールの下から、ギラリと光る凄まじい眼!
「お、お前は…ト…」
「ふんッ」
「わああっ」
ヴェールをかなぐり捨て、スカートを翻したトールさん。ミョルニルを振りかざすや、
―――ばきっ。
哀れスリュムさんは、その一撃のもとに床にめり込んで動かなくなってしまいました。
華やかな婚礼の宴は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図に。巨人たちの悲鳴が響き渡る中、裾長きウェディング・ドレスを亡霊のごとくひるがえし、悪鬼のごとく右へ左へと槌を振るうトールさんの姿。
殺戮に走るガタイのいい花嫁(返り血で真っ赤)。
在り得ない光景が繰り広げられています。
ロキさんはとっくに、巻き添えくらわないよう広間を逃げ出していました。
やがて夜が更け、あたりが静まり返る頃には、返り血で衣装を染めたトールさんが、巨人たちの屍の山の上に、ゆらぁりと立っていたそうな。
「ふうー。ふうー。ふうー… ふふふふ… くくく、はははは…」
「…怖ぇェ…」(涙)
浅ましくも贈り物をねだったスリュムさんの姉も、とっくに打ち倒されておりました。
かくして、トールさんの災難は終わり、溜まり溜まったストレスの代償としてスリュムさんの国をボロボロにしたことで決着がつきました。
それからというもの、トールさんはもう二度と、道端で昼寝をするときに大事なミョルニルから手を離しはしなかった、ということです。
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美しいものには棘があるとは申しますが、美しく装ったトール殿にも、やはりそれは当てはまるものなのか。
ともあれこのお話は、アスガルドの住人たちの長く記憶に留めることとなり、口から口へと語り継がれ、今に至っているわけであります。
スリュムが愚かだったのか?
それともロキの狡猾な知恵と、トール殿の恥をも省みない決意が勝っていたのか?
それは誰にも分かるまい。
ただ一つ言えることは、どんなに無力に見える花嫁でも、実は必殺の一撃を隠しているかもしれないということだ。
その一撃を振り下ろされたくなくば、花婿よ。結婚相手は心して選びたまえ…
おしまい