フィンランド叙事詩 カレワラ-KALEVALA

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フィンランド叙事詩  カレワラ


さあ一緒に歌い始めよう、共に語ってゆこう
我ら、二つの方角(かた)よりやって来て出会いし者

戦うジジィ超かっけぇ アクセリ・ガレン=カッレラ(1896)
「サンポの防衛」
フィンランド国立美術館所蔵

―第43章を描いたもの。
版画Verもあります


”カレワラとは”。
…この物語は、フィンランド人にとって国民的勇者の波乱万丈な冒険譚であり、アイデンティティの寄り代であり、義務教育で教えられているくらいメジャーであり、全50章からなる、『ワイナミョイネンと愉快な仲間たちのドキドキ★大冒険』である。
エキセントリックスーバーじじいワイナミョイネンが、カレワの人々を救ったり、北の魔女と戦ったり、少女に恋してその少女の兄貴と一騎打ちするハメになったり、親友イルマリネンと美女を取り合ったり、すっ転んで足にケガして泣いたりする。

…ん? 余計にわかんないと。
仕方が無い、まずは真面目な解説からはじめよう。



「カレワラ」とは、1835年という比較的新しい時代、エリアス・リョンロット(リョンロート)という名のひとりの医師によって編纂された「叙事詩」である。
この物語の原型となった口伝は、収集された時点で、すでに死に行く物語のひとつだった
元になっているのは、各地に散らばっていた古い伝説で、リョンロットが収集した時点ではバラバラで、集められた小さなエピソードや歌ごとに独立して成り立っていた。
物語はすべて、歌として語り継がれるものだったから、カレワラの元になった伝説は、人の口から口へ、語り伝えられていったものだったのだろう。
その伝播の過程で、物語はフィンランド、カレリア、イングリアにまで渡る広範囲に散らばり、地域ごとの変化が生まれ、新たな物語が付け加えられた。

1828年、リョンロットが消え行く物語のかけらを集めはじめたとき、「カレワラ」の元となる物語には、採集場所ごとに、かなりの差があった。(当然、すでに消滅して失われていた部分もあった)
それらを、創作と想像を交えつつ、一本の筋道に創りなおしたものが、最初に作られた「原カレワラ」(1833)だった。

その後、1835年に「古カレワラ」を出版したのち、リョンロットはさらに、新たに収集された歌を加えた「新カレワラ」を作る。1849年のことだ。
これが、現在、日本語にも翻訳されて読まれている、いわゆる「カレワラ」のことになる。
一人の人間が編纂して作り上げたもの…という意味では、カレワラは「神話」でも「伝説」でもなく叙事詩、それも19世紀の古典という扱いになるだろう。

実際、ばらばらの物語をひとつの物語として繋ぎ合わせる際、リョンロット氏はかなりの範囲にわたり手を加えたようである。
その改訂のパーセンテージは全体の5パーセントほどと言われているが、たとえ5パーセントとは言っても、本来登場しないはずの人物やエピソードが加えられていることを考えれば、現在のカレワラは、元々のカレワラとは似て非なるものである、と考えたほうがいいかもしれない。

カレワラという物語は、「古き時代より伝わる神話」であると同時に、「神話をもとにして創られた新たな物語」でも、あるのだ。
だが、神話とは、得てしてそんなものではないだろうか。
誰かが突然の思いつきで加えたストーリーが、そのまま多くの人の口伝えを経て、大きく変容する。元はたった一人の人間の手によるものだった小さなエピソードが、時と人に育てられ、大きな流れを持つ伝説となる。

リョンロットが作り上げた「一大叙事詩」は、今では古典であるとともに、フィンランド人にとって、かけがえのない祖先の遺産でもあると思う。


-----北欧神話との違いについて

地域でいえば北欧圏に分類され、北欧五カ国と言われるフィンランドだが、神話の面においては、独立している部分が多い。同じ北欧でも、いわゆる「北欧神話」、オーディンを頂点とする神々の体系とは、ほとんど共通点が無く、独自の世界観を採用している。それというのも、フィンランドの人々は、「北欧神話」を伝えたゲルマン系の人間とは、人種も、言語も異なる”バルト・フィン語族”だったためだ。
地域は近かったが、より古い時代には、それほど頻繁に接触があったわけではないだろうか。(ゲルマン民族は、フィンランドの北部に住む、自分たちより古い時代から住む人々を「呪術を使う北の人々=ラップ人」として恐れていた)

フィンランド周辺も、ヴァイキングに支配された時代があったはずで、実際12世紀から19世紀まではスウェーデン統治下にあったわけだが、大元となる言語体系が違うこともあって、互いの神話が完全に同化することは無かったようだ。


ちなみに、「カレワラ」の物語が生まれた場所、というのは、はっきりしていない。
ある説によれば、西フィンランドを発祥としてカレリア経由でイングリア、エストニア方面へ広がり、そこから、変化を加えられつつ再びカレリアへ戻って来たのではないか、と言われているが、それも一部のエピソードに過ぎないかもしれない。
そして、大元となるはずの西フィンランドには、カレワラのエピソードはほとんど残らず、主にカレリアに原型をとどめ、エストニア地方には、変化したエピソードや、オリジナルな伝説が多いように思う。

物語がこのような複雑な経路を辿って広がったのには歴史的背景が大きく関わっている。
かつて、カレリア周辺はギリシア正教とルーテル教の勢力図ド真ん中だった。ロシアに近いカレリアは、フィンランドの牧師たちにとっては異教徒の土地、イングリアは11世紀にカレリアから移住したギリシア正教徒が居を占めた後、17世紀にはルーテル教徒が住み着いている。
多くの歴史的要素が、カレワラを複雑な民族叙事詩に仕立て上げた。そこには、ひとつの民族の歴史が凝縮されていると言っていいかもしれない。

他の地方からの人々が、新たな神々とともにやって来たとき、オーディンなど北欧の神々が駆逐されたように、フィンランド周辺の土着信仰もまた、征服者の教義によって押し流された。
ただ、歴史の偶然が、キリスト教とその他の宗教を対立させ、はざまにあった辺境、カレリアの地に、アイスランドと同じように「神々の安息地」を作り出したのだろう。

おお、ウッコ、至高の神よ。
天の父なる創造主よ。
空より雨を降らせ、延び行く若芽のその上に!



カレワラは、独特の言い回しで、繰り返し法を使っているため、全体を通して意味を理解するのが困難になっている。もともと詩人や農夫が歌う物語であり、「読むために作られた物語」では無いからだ。
しかも、原語はフィンランド語。そのフィンランド語で一定の韻を踏んで歌われているものを日本語に訳すんだから、それはわからなくなるのも当然といえば当然。
そこを、単なる表面上の言葉に惑わされず意味を辿っていかなくては、この物語を理解することは出来ない。完読には、かなりの根性が必要なのだそうだ。(自分は読んだけど。…楽しかったけど)
心の中で歌いながら読んでください(笑)


----神話を掲げ、作られた国

ちっとも面白くない物語だと思うかもしれないが、「カレワラ」は、本国フィンランドでは大変に重要な役目を持っているという。
フィンランドは、先に少し触れたギリシア正教・ルーテル教のせめぎあいのみならず、ヴァイキング時代、スウェーデン統治時代、さらにはロシアによる支配時代など、大変複雑な過程を経て独立に至った国である。
長きに渡る支配の中で、フィン人たちは自らの伝承を忘れ、民族としての誇りも失いかけていた。
そこへ、19世紀初頭、死に瀕していた伝承のカケラを持ち帰ったリョンロットによって蘇ったカレワラの物語が登場する。自分たちは何者なのか、フィンランドとは何なのか? その答えとも呼ぶべき、自分たちの「アイデンティティ」を。

おりしも、失伝した物語の収集が始まった19世紀初頭は、フィンランドに、スウェーデンからの独立を促す声が高まりつつあった時代。歴史を奪われた民族が、自らの過去を取り戻し、誇りを持つために必要不可欠だったもの。それが、「自分たちの神話」…

この物語が即座にフィンランドに広まった理由も、何となく想像がつくだろう。
彼らが手にしたものは、過去に失った「形なき遺産」、完全に失われてしまえば二度と取り戻すことのできない、かけがえのないものだったのでは、ないだろうか。

神話とは、単なる空想物語ではない。
それは、証明しようもないほど遥かな古えの時代の、民族の歴史でもある。今やカレワラはフィンランドに住む人々の寄る辺であり、誇りであり、独立の象徴でもある。
古代日本では、同じように、大和朝廷が、日本全土を統べるにあたり神話を編集したという。
それと同じで、ひとつの国が出来上がるには、その国の歴史を悠久の時の彼方へ繋ぐ物語が、必要不可欠なのではないだろうか…。



と、いうわけで、この物語がどんなものかは分かったかと思う。
なんたって、登場人物はみんな濃ゆい人たちばかりだ。
乱暴者の色男レンミンカイネンや、ゴツくてムサい肉体派イルマリネン、ポホヨラの魔女に、海から手を振る裸の美女たちに、農耕の神サンプサ・ベッレルホイネン、悲劇の英雄クッレルボ。
物語の世界では、吟遊詩人が最強だ。歌って生きていける。歌って敵が倒せる。まさに歌って戦う救世主。

そんなハッスルじーさんと仲間たちの「歌う! カレワの国」な冒険を、ぜひ一緒に楽しんで欲しい。
…なに、さっき説明した内容と違うって? いやマジメな話苦手だしさフィンランドは遠いしさ…。
まあいいじゃないか。読めば分かる。


◆資料
一般に出回っている、いちばん手にいれやすいものは「岩波文庫・赤 カレワラ(上)(下)」
ただ、これは、日本語として分かりやすくするため、多少は意訳も含む、とのこと。そこらへん専門家でもないので、大して気にしなくてもいいかと^^;

 その他の参考文献については、フィンランド大使館のサイトが詳しいです。
 以下、大使館サイトから抜粋。勝手にコピーしてごめんなさい、でもでも。カレワラ広めますから。許してくださーい。

カレワラ1,2 森本覚丹訳・講談社学術文庫
カレワラ 桑木務訳・講談社少年少女世界文学全集2
カレワラ1,2 小泉保訳・岩波文庫
霧のカレワラ 森本ヤス子著・北欧文化通信社
カレワラ タリナ 坂井玲子訳・第三文明社レグルス文庫
カレヴァラ物語 高橋静男編訳・筑摩書房
カレワラ神話と日本神話 小泉保著・NHKブックス
カレワラの歌−呪術師ワイナミョイネンとサンポ物語 小泉保訳注・大学書林
カレワラの歌−レンミンカイネンとクッレルボ 小泉保訳注・大学書林

下記文献・資料についてはフィンランド大使館広報部にお問い
合わせ下さい:
Finfo: カレワラ 1835-1849-1999
1985年カレワラ150年祭記念講演会録 *1
1999年新カレワラ刊行150周年記念セミナー録 *2

*1
1985年10月21〜25日カレワラ150年祭記念講演会
「カレワラと神話」ラウリ・ホンコ Lauri Honko
「文学的作品としてのカレワラ」カイ・ライティネン Kai Laitinen
「無慈悲なポホヨラの美女と求婚者たち」ヴェイヨ・メリ Veijo Meri
シンポジウム「叙事詩の世界」司会:小沢俊夫・大林太良

‖パネリスト:ラウリ・ホンコ/田中克彦/吉田敦彦

*2
1999年5月18〜22日新カレワラ刊行150周年記念セミナー
「カレワラの普及に見られる民族主義と普遍主義」ペルッテイ・アントネン Pertti Anttonen
「カレワラと世界の叙事詩」ヘンニ・イロマキ Henni Ilomaki



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