この物語は、他のゲルマン伝承と同じく、もとは口伝として人々の間に記憶されていた。つまり、人の移動なくして、伝承の移植はあり得ない。
イギリスは、ヴァイキングの一派が略奪のため上陸した地のひとつであった。
考えられることは、大ブリテン島へ行ったヴァイキングがいたか、あるいは奴隷として引っ張ってこられた人がいて、この物語を覚えて帰ったか。
もちろん、当時、大ブリテン島にいた人たちは、そうした侵略者を恐れこそすれ、称えることはしなかったのではないか、だとか、、ゲルマン民族であるデーン人やウェデル人の栄華を歌う「ベーオウルフ」のごときものを、こんなふうに書かなかったはずだ…という意見もある。
しかし、事実として、「ベーオウルフ」は存在する。
そして、文字を知る学識ある地位の者、僧侶か、専門の学者でなければ、物語を羊皮紙に書き記すことが出来なかったのだ。
ヴァイキング時代は、793年のリンディスファーン修道院襲撃事件から始まる。ちょうどその時代、西欧の安定したキリスト教圏はカール大帝の没とともに分裂期を迎え、イスラム教徒の進攻や内乱、王族の権威失墜など、さまざまな問題を抱えていたという。
この動乱期にあって、海を越えて疾風のように押し寄せるヴァイキング船は、人々にとって強い恐怖の対象だった。それは、誰も止めることの出来ない破壊を意味した。
だがそれは、実は一方的な見方でしかない。
ヨーロッパ全土が荒廃の時代を迎えていた中で、ヴァイキングの略奪行為は、弱体化した社会基盤に揺さぶりをかけ、新たな結束を生み出したとする考え方もある。淀んだ空気は、乱されて浄化されなければならない。彼ら、海を越える脅威の民族は、社会の攪拌と再生という役割も担っていたのではないか。
その行為が歴史の中でどのような役割を果たしてきたのか…を考えようとすれば、一方的に「悪」とみなすことは出来ないのだ。
物語を最初に書きとめた者が誰であったかは、もちろん、分からない。証拠などあるはずもなく、分かるわけがない。
しかし、それが誰であれ、「彼」は、物語を完全にキリスト教的なものとして書き換えることはしなかった。「神」という言葉は使いつつ、その神が絶対たる世界の主であることは、強調しなかった…、物語の中の人々が、古代ゲルマンの法と倫理に従がって動いていたとしても違和感が無いほどに留めたのである。
それは、「彼」が、この物語に最大限の敬意を払った結果だと、私は思う。
さらに、この物語について、幾つかの視点から、その立場を明らかにしてみようと思う。
「アーサー王伝説」、「ベーオウルフ」、「ニーベルンゲンの歌」とならべた場合、分類は以下のようになる。
イギリス文学が「アーサー」「ベーオウルフ」、ドイツ文学が「ニーベルンゲン」。
元地にケルト神話があるのが「アーサー」、北欧神話が「ベーオウルフ」「ニーベルンゲン」。
騎士物語としては「アーサー」「ニーベルンゲン」がひとまとめとなり、「ベーオウルフ」は入らない。
…ベーオウルフを北欧神話と呼びたければ、そう呼んでも間違いではないし、イギリスにあるんだからイギリス文学だ、と言っても、問題はない。だが言えるのは、ベーオウルフに登場する人物の実在のモデルたちが生きたのはスカンジナヴィア半島だったこと、物語は、ただの一度も、それが書き留められた場所=大ブリテン島には触れていない、と、いうことである。
ベーオウルフは「イギリス文学」と呼ばれてはいるが、「イギリス人の文学」ではない。
あくまでも、ゲルマン人の叙事詩なのだと私は思う。