グレンとグレンダ 米 1953年 67分 |
この作品の世間一般の評価は「最低」だが、私にとってはオール・タイム・ベストの1本である。才能のない一人の映画監督の一世一代のモノローグ(=ひとりごと)。呆れるほどの「才能のなさ」は、かえって予期せぬ映像を可能にした。これほどシュールな映像は滅多に見ることが出来ない。奇跡的な大傑作である。 時は50年代初頭。三面記事はクリスチーネ・ヨルゲンセンの話題で持ち切りだった。なにしろ第二次大戦の英雄が性転換手術を受けて女になったというのだから、これはもう大事件だった。 |
『グレンとグレンダ』は、もともと『私は性転換した』というタイトルの、クリスチーネ主演の映画として企画されたものだった。ところが、クリスチーネに断られたので、結局、女装癖のあるウッド本人が主演することになった。 しかも、ウッドはこの映画に、当時モルヒネ中毒で失業状態にあったベラ・ルゴシを出演させた。おかげで映画は余計に混乱することになる。 「気をつけろ。 何のことやらさっぱり判らない。 |
|
この他にも訳の判らないシーンは山ほどある。 突如としてバッファローの暴走が現れて、観客の度胆を抜くシーンもある(上写真)。主人公が執拗に恋人のアンゴラのセーターを撫で回す場面で、何の説明もなく唐突にバッファローの大群が押し寄せてくるのである。思うに、主人公の心に沸き上がる倒錯心の高揚を象徴したのであろうが、それにしても唐突で、観客には何が何やら判らない。 極めつけは「後ろ指差され組」。己れの女装癖に罪悪感を抱く主人公は、またしても見たままに、皆から「後ろ指」を差されるのであった(左写真)。 |
|
すべてがこんな具合であるから、観客にはさっぱり判らなかったし、出演者にさえも判らなかった。判っていたのはウッド本人だけである。終盤で恋人の女装癖に理解を示し、自らのアンゴラのセーターを譲り与えるヒロインのセリフが如何にも象徴的である(左写真)。 「何だかよく判らないけど頑張りましょう」 このヒロインを演じたのはウッドの現実の恋人だったドロレス・フラー。彼女は実生活でも理解しようと頑張ったが、遂に理解することはできなかった。2年後にウッドと別れている。 とにかく判らないことだらけの映画だが、その判らなさが本作の魅力でもある。あのデヴィッド・リンチも本作がお気に入りとかで、そう云われれば、彼の映画の判らなさには本作に通じるものがある(註1)。 註1 デヴィッド・リンチのデビュー作『イレイザーヘッド』には、本作からパクったとしか思えないショットがある。 |
関連人物 |