パール・ホワイト
PEARL WHITE(1889-1938)
ポーターやグリフィスが確立したカッティング技術は、やがて連続活劇に応用されて人気を博した。そんな中で「連続活劇の女王」と呼ばれたのがこのパール・ホワイトだ。いわば史上初のアクション女優である。
6歳で舞台に立ち、やがてサーカスの軽業師になったというから、その出自はバスター・キートンによく似ている。1910年にフランスのパテ社と契約し、数多くの映画に出演した。
ちょうどその頃、ハースト系と非ハースト系の新聞が各々「ポーリン」と「キャサリン」という名前の女性が活躍する絵入り連続冒険小説を競い合っていた。そんな折、ハーストはパール・ホワイトに目をつけ、パテ社と共同で「ポーリン」の映画化に乗り出した。1914年のことである。第1作『ポーリンの危難』が大当りしたために続々とシリーズ化されて、ホワイトは「連続活劇の女王」の名を授かり、ハーストは部数競争に勝利したのである。
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