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フローレンス・ローレンス
FLORENCE LAWRENCE
(1886-1938)


 今日ではその出演作を観る機会はほとんどないが、このフローレンス・ローレンスこそが「映画スター第1号」である。それまでは出演者の名前がクレジットされることはなかった。みな一様に「UNKNOWN」だったのである。
 バイオグラフ社の専属女優で、一般には「バイオグラフ・ガール」として知られていたローレンスを「映画スター第1号」に仕立てたのは、後にユニヴァーサルを設立するカール・レムリである。その手法は極めて狡猾だ。1910年、ローレンスをバイオグラフ社から引き抜いたレムリは「あのバイオグラフ・ガールが路面電車事故で死亡」との噂を流したのだ。新聞のゴシップ記事がその噂に飛びつくや否や、彼は有名新聞の一面を買い取り、大々的に宣伝した。

「彼女はまだ生きています!。
 彼女の名はフローレンス・ローレンス。
 その新作がこれです!」

 これには東宝東和もびっくりだ。ほとんど反則技である。
 映画というビジネスは、その創成期から胡散臭さをプンプンと漂わせていた。

 かくして、あまりにもあざとい手法で「映画スター第1号」にのし上がったローレンスだったが、その人気は長くは続かなかった。後続のリリアン・ギッシュメアリー・ピックフォードにお株を奪われ、20年代半ばには一介のエキストラにまで落ちぶれた。そして、1938年に服毒自殺。
「映画スター第1号」が自殺で人生に幕を引いたことは、その後のハリウッドの悪辣ぶりを象徴していて興味深い。


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