食人映画 |
イタリア映画といえば紛い物ばかりだと思われがちだが、イタリアでしか作られていないジャンルというのが存在して、それが食人映画である。 食人映画のルーツはモンド映画に遡る。土人の奇習をカメラに収めた『世界残酷物語』がその起源だろう。しかし、如何にモンド映画であろうとも、食人の現場を撮えた作品は存在していなかった。「遂に人食いの現場を撮った!」と謳った『残酷人喰大陸』(井出昭監督)も現実に食人シーンを撮らえていたわけではない。土人による食人を撮らえたのは、73年の『怪奇!魔境の裸族』(ウンベルト・レンツィ監督)が世界で初めてである。 もっとも、『怪奇!魔境の裸族』はモンド映画ではない。モンド映画の手法を応用した劇映画である。しかし、当時の宣材を見ると、あたかもドキュメンタリーであるかのようであり、また「巨匠ヤコペッティを凌ぐと評判の新鋭ウンベルト・レンチ監督作品」などと書かれているので、勘違いされた方も多いのではないだろうか。 |
『怪奇!魔境の裸族』は世界中でヒットし、かくして「食人映画」というジャンルが誕生した。製作者は二匹目のどじょうを企画するも、このジャンルに染まることを怖れたレンツィに続投を断られてしまう。代わって抜擢されたのがルッジェロ・デオダートだった。 一方、一度は降りたレンツィはというと、デオダートの成功に嫉妬の炎をメラメラと燃やしたかどうかは知らないが、とにかく「食人の元祖は俺だ!」とばかりに『食人帝国』を発表した。80年のことである。ガイアナ人民寺院の集団自殺事件をモチーフにした野心作だったが、疑似ドキュメンタリーの手法を用いた『食人族』の方が巧妙で、レンツィはデオダートに完敗した。 ならば「食人映画の究極を見せたろか!」とレンツィが息巻いたかどうかは知らないが、とにかく徹底的にグロを追求したのが、84年の『人喰族』である。これは残酷描写が余りにも惨いので「史上最悪の食人映画」と称されている。 |
かくして、レンツィとデオダートの功労によりジャンルとして定着した食人映画は、イタリアというトマトソースの国で続々と量産されることになる。数多のフォロアーの中でも特筆すべきなのは、やはりジョー・ダマトだろう。 とにかく、このジャンルはえげつなくて、しかも極めて差別的なので、ハリウッドで製作する者は皆無である。ハリウッドでも製作できるように改良されたのが、ゾンビ映画なのだろう。 |