ヴィンチェンツォ・ヴェルゼーニは1849年、ベルガモ近郊のボッタヌーコで生まれた。実家は貧しい農家で、アル中気味の父親に殴られて育った。やがて小動物を虐待することで憂さを晴らすようになり、12歳の時にニワトリを絞め殺すことで初めて性的快感を覚えたという。
人間の女性を襲うようになったのは18歳頃からである。但し、目的は姦淫ではない。首を絞めること自体を好んだのだ。そのことで絶頂に達したのである。はっきり云ってド変態だ。
そんなヴェルゼーニの「はじめてのさつがい」は1870年12月8日のことである。14歳のジョヴァンナ・モッタがターゲットとして選ばれたわけだが、その日は首を絞めるだけでは絶頂に達しなかった。早漏を克服したということなのか。とにかく、彼女を死に至らしめた上で、その喉を噛み切り、流れ出る血をすすり、はらわたを抉り出すことでようやく満足したようだ。ここまで来るともう人間の所業ではない。その後、ヴェルゼーニは彼女のもも肉を切り落とした。ステーキにして食べるためだ。しかし、家に持ち帰ると母親に不審に思われることに気づき、帰宅途中で捨てたという。
次いで殺害されたのが28歳のエリザベータ・パニョンセッリ。1871年8月28日のことである。遺体の状況はほぼ同じだった。絞殺された上に喉を噛み切られ、はらわたを抉り出されていた。
間もなく逮捕されたヴェルゼーニは、チェーザレ・ロンブローゾの格好の研究対象となった。「生来的犯罪者説」を唱えた御仁である。彼の研究は今日では「トンデモ」であったことに異論がないので、その件は割愛する。論じても意味がないのでね。
結局、ヴェルゼーニは2件の殺人で有罪となり、終身刑を宣告された。そして、1874年4月13日に精神医療施設で首を吊って自殺したと伝えられていたが、イタリア版ウィキペディアによれば、1918年12月31日まで生きていたらしい。死因は「自然死」である。
(2012年4月5日/岸田裁月)
|