マリア・スワーネンブルフは1839年9月9日、ライデンの貧しい家庭に生まれた。近所の年寄りや病人の世話をする気立てのよい娘で「Goeie Mie」の愛称で親しまれていたという。「よい子のミーちゃん」とかいう意味だ。25歳の時に鍛冶屋のヨハネス・ファン・デル・リンデンと結婚し、5人の息子と2人の娘をもうけている。
彼女がビジネスとしての殺人に手を染めたのは1880年頃からだと云われている。
世話をする年寄りや病人の食事に殺鼠剤、すなわち砒素を盛り、死亡すると保険金を手に入れ、場合によっては遺産を着服していたのである。その犯行がしばらく発覚しなかったのは、それだけ彼女の評判がよかったということなのだろう。
遂に逮捕に至ったのは1883年12月のことである。砒素中毒で病院に運ばれた女性がこのように証言したのだ。
「急な腹痛に襲われたのは、マリアが作ったオートミールを口にした直後でした。変な味がしたので、あまり食べませんでしたが」
これを切っ掛けに捜査が進められ、マリア・スワーネンブルフがこれまでに100人以上の人々(両親や我が子、親類を含む)に砒素を盛り、少なくとも27人を殺害していたことが明らかになったのである。かつての「よい子」は前代未聞の毒殺魔だったのだ。
かくしてマリア・スワーネンブルフは殺人容疑で有罪となり、終身刑を宣告された。そして、1915年4月11日に獄中で死亡した。75歳だった。
(2012年4月4日/岸田裁月)
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