2003年4月24日、ペンシルベニア州ヨーク近郊の町、レッド・ライオンでの出来事である。その日の朝、ジェイムス・シーツ(14)はいつものようにスクールバスに乗ってレッド・ライオン・エリア中学校へと向かった。但し、バックパックの中身はいつもと違っていた。継父のキャビネットから無断で拝借した3挺の拳銃(いずれもリボルバーで、44口径、357口径、22口径)が収められていたのだ。
スクールバスの中でシーツは一言もしゃべらずに、ヘッドフォンでリンプ・ビズキットのCDを聴きながら、じっと前を凝視していたという。もともと物静かな少年であったが、その日の態度は異様だったとクラスメイトは後に語っている。
同校では毎朝、授業が始まる前に生徒一同がカフェテリアに集うのが慣例になっていた。シーツもいつものようにいつもの席に着いた。やはり一言もしゃべらなかった。やがて校長のユージン・セグロ(51)がカフェテリアに現れた。するとシーツは立ち上がり、校長につかつかつかと近づくと、44マグナムを取り出して、その胸に目掛けて発砲した。
カフェテリアは静寂に包まれた。
その数秒後、シーツは22口径の拳銃を取り出すと、銃口を己れのこめかみに当てて自殺した。生徒たちは目の前で何が起こったのか、さっぱり理解出来なかった。悲鳴を上げて逃げ出すためには更に数秒が必要だった。
さて、判らないのが動機である。
ジェイムス・シーツは平均的な生徒で、悪い噂は見当たらない。学校のフットボール・チームにも参加していた彼はイジメられっ子だったわけでもない。誰からも愛される生徒だった。
一方、校長のユージン・セグロも生徒たちから愛されていた。殺されなければならない理由が見当たらないのだ。
但し、このような証言もある。
「近頃、シーツは校長に叱られたことを恨んでいた」
「近頃、シーツは恋人にフラれて落ち込んでいた」
だが、その程度のことで犯行に及ぶだろうか?
思うに、シーツは精神を病んでいたのではないだろうか? そうでなければこの事件は説明出来ない。
(2013年1月23日/岸田裁月) |