1946年10月20日、マンチェスター郊外の爆撃地で40歳の売春婦、オリーヴ・ボールチンの遺体が発見された。彼女は近くに落ちていた皮なめし用のハンマーで頭を叩き割られていた。
やがて数々の目撃証言に基づき、ウォルター・ローランド(39)が容疑者として逮捕された。彼には殺人の前科があった。1934年に2歳の娘、メイヴィスを殺害した容疑で有罪判決を受けていたのだ(但し、刑の執行は猶予された)。
ローランドは被害者と会ったことは認めたが、犯行への関与は否定した。しかし、彼の衣服からは被害者と同じ型の血痕と、爆撃地のものと同じ粉塵が発見された。これが有力な証拠となり、ローランドは再び有罪判決を受けて、死刑を宣告された。
と、ここで終わらないのが、この事件の興味深いところだ。ローランドがマンチェスターの刑務所で死刑執行を待っている間に、リヴァプールの刑務所に収監されている囚人の一人、デヴィッド・ウェアがオリーヴ・ボールチンの殺害を告白したのだ。そのことを知ったローランドは内務省に執行猶予を働きかけたが、ウェアがすぐに撤回したために問題視されることなく、ローランドは予定通りに、1947年2月27日に処刑された。
と、ここで終わらないのが、この事件の興味深いところだ。1951年7月10日、ブリストルで仮釈放中のデヴィッド・ウェアが殺人未遂の容疑で逮捕されたのだ。フィリス・フュイッジという女性をハンマーで殴り殺そうとしたのである。ウェア曰く、
「私には何が何やら判りません。とにかく、女性の頭を殴る衝動を常に抱えているのです」
この証言はウォルター・ローランドの事件に関与した人々に衝撃を齎した。実はローランドは無実で、真犯人はウェアだったのではないだろうか? ところが、ローランドは4年前に既に処刑されてしまっている。故に調べようがないし、仮に無実であったとしても、もう取り返しがつかないのだ。
私が基本的に死刑に反対なのは、こうした事例がままあるからだ。人が人を裁く以上、必ず間違いが介在する。間違いが見つかれば是正すればよい。ところが、死刑を執行してしまえば、もう是正できないのである。
ちなみにデヴィッド・ウェアは「有罪だが精神異常」と認定されて、ブロードムア精神病院に収容された。そして、1954年4月1日に自室で首を吊って死亡した。かくして、真相は永遠に闇の中になってしまった。
(2012年11月6日/岸田裁月)
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