1929年1月10日、サザンプトンのグローヴ・ストリート沿いのガレージで、ヴィヴィアン・メシター(57)の腐乱死体が発見された。彼は「ウルフズ・ヘッド・オイル・カンパニー」の代理店を経営していた。ここ2ケ月もの間、彼との連絡がつかなくなっていたので「ウルフズ・ヘッド」の社員が調べに来たところ、鍵が掛かったガレージの奥で遺体を発見したのである。
死因は鈍器による撲殺だった。頭蓋骨がメチャクチャになるほど執拗に殴られており、ガレージの壁や天井には血しぶきの痕が残されていた。
やがてガレージの近くで血まみれのハンマーが発見された。付着していた眉毛を検査したところ、被害者のものであることが確認された。
事務所を捜索した警察は、メシター氏が掲載した「セールスマン募集」との新聞広告への応募書類を発見した。「ウィリアム・F・トーマス」と署名されている。早速、その住所を訪ねたところ、現在は誰も住んでいなかった。室内は騒然としており、慌てて逃げたかのようだった。
間もなく「ウィリアム・F・トーマス」の本名がウィリアム・ポドモア(29)であることが判明した。詐欺の常習犯である。彼が殺人に関わっていることはまず間違いないだろう。
1月下旬、ポドモアはロンドンで逮捕され、余罪の詐欺容疑で有罪となり、6ケ月の刑を宣告された。
その間、警察は新たな証拠を発見した。それは最後のページが破り取られた売り上げ台帳だった。その下のページに残されていた鉛筆の窪みから「ウィリアム・F・トーマス」が虚偽の売り上げを申告し、手数料をせしめていたことが判明したのだ。そのことがバレたために、ポドモアはメシター氏を殺さなければならなかったのである。
かくして、ウィリアム・ポドモアは殺人容疑で有罪となり、1930年4月22日に絞首刑により処刑された。
(2012年11月2日/岸田裁月)
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