ゲイリー・スコット・ペニントン
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1993年1月18日、ケンタッキー州の小さな町、グレイソンでの出来事である。その日はキング牧師の誕生記念日(1月の第3月曜日)で、一般には祝日であったのだが、イースト・カーター高校では平日通りに授業が行われていた。
午後2時40分、108号室でディアナ・マクデヴィッド(48)の指導の下、英語の授業が始まった。22人の生徒が出席していた。
5分後、生徒のゲイリー・スコット・ペニントン(17)が遅れて現れた。その右手には38口径のリボルバーが握られていた。彼は入室するなり、マクデヴィッドに目掛けて発砲した。だが、弾は当らなかった。彼女は叫んだ。
「スコット、何をしてるの!?」
(Scott, what are you doing !?)
ペニントンは云い返した。
「黙れ、売女」
(shut up, bitch.)
そして、彼女の額に目掛けて再び発砲した。血が飛び散り、彼女はその場に崩れ落ちた。即死だった。ペンは右手に握られたままだった。
教室は凍りついた。目の前で起きたことが現実だとは思えなかった。或る生徒などはマクデヴィッドが仕掛けた芝居だと思ったらしい。何故なら、マクデヴィッドは演劇部の顧問だったからだ。
間もなく銃声を聞きつけた管理人のマーヴィン・ヒックス(51)と社会科教師のジャック・カルホーンが現場に駆けつけた。彼らもまた状況を瞬時には理解出来なかった。ペニントンが銃を手にしていることに気づいたヒックスは彼に訊ねた。
「それには装填されているのか?」
(Is that thing loaded ?)
「ああ、もちろん装填されているさ」と答える代わりに、ペニントンは彼の腹部に目掛けて発砲した。彼もまたその場に崩れ落ちた。カルホーンは叫んだ。
「立て、マーヴィン! 立つんだ!」
(Get up, Marvin ! Get up !)
だが、マーヴィンは既に虫の息だ。
「駄目だ…撃たれた…」
(I can't...I'm shot...)
その時、ペニントンはカルホーンの頭に銃口を向けていた。そのことに気づいたカルホーンは思わず叫んだ。
「よせ! 俺はマーヴィンを介抱しているんだ!」
(Leave me alone ! I'm helping Marvin !)
結局、ペニントンはカルホーンを撃たなかった。そして、教壇脇のファイリング・キャビネットに腰掛けて、震え上がる同級生たちに質問した。
「これでも俺のことが好きかい?」
(Do you guys like me now ?)
誰も答えなかった。
「どうしたんだ? 舌を切られたのか?」
(What's the matter, eat got your tongues ?)
そして、徐に所持している銃弾を数え始め、こう云い放った。
「みんなの分があるからな」
(There's one for everybody.)
ペニントンは成績優秀な生徒だった。だが、炭坑夫の父親が事故で負傷してからは極貧の生活を強いられた。電話も水道もない荒ら屋同然の家に引っ越しを余儀なくされて、家族は月300ドルの生活保護で暮らしていた。こうした事情でイースト・カーター高校に転校したのは5ケ月前のことである。
彼はこのような環境に至った原因である父親のゲイリー・シニアの憎んでいた。だから、学校ではミドルネームのスコットで通していた。
犯行の直接の動機は、2週間前に英語の授業でC評価を受けたことだった。他の授業ではほとんどがA評価だったペニントンにとって、これは屈辱的な仕打ちだったのだ。そして、やけくそになって犯行に及んだ。怨みがあるマクデヴィッドだけでなく、ヒックスも殺したのは「2人以上殺せば死刑になるだろうと思ったからだ」と供述している。
犯行後、ペニントンは人質の生徒を少しずつ解放し、午後3時1分には抵抗することなく逮捕された。そして、2件の殺人で有罪となり、終身刑が宣告された。彼は現在もケンタッキー州立刑務所に収容されている。
なお、つい最近の2014年4月12日午後1時45分頃、ケンタッキー州立刑務所の給食職員、ジョアン・スミスがペニントン(当時38歳)に襲われて重傷を負った。この件は現在、捜査中とのことである。
(2012年12月23日執筆・2014年6月17日加筆/岸田裁月)
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