1892年10月11日、シドニー近郊のマクドナルドタウンでの出来事である。バレン・ストリートに面した住居の裏庭で、ジェイムス・ハノニーという男が下水の詰まりを直していた。おやおや、衣服のようなものが詰まっているぞ。よっこらしょと引っ張り出して、あわわわわわと悲鳴を上げた。なんと赤子の遺体ではないか。しかも2つも。直ちに警察が呼ばれたことは云うまでもない。
この裏庭からは合計で7つの遺体が発見された。いずれも生まれて間もない赤ん坊で、残りの5つは土中に埋められていた。
この住居のかつての借り主はジョン・メイキン(47)という男だった。荷馬車の御者を生業としていたが、事故で負傷してからは助産婦の妻、サラ(46)と共に「ベイビー・ファーム=託児所」 を営んでいた。非嫡出子専門の託児所である。
メイキン家がその前に住んでいたレッドファーンの裏庭からも赤子の遺体が発掘された。彼らが現在住んでいるチッペンデイルの裏庭からも赤子の遺体が発掘された。合計で12体である。こりゃあもう赤子の殺しを商いとしていたと見て間違いないだろう。
しかし、いずれの遺体も腐敗がかなり進んでおり、死因を特定することは出来なかった。自然死である可能性もあるのだ。故に状況証拠が揃っているホレス・マーレイ殺害の容疑でのみメイキン夫妻は起訴された。
ホレス・マーレイは1892年5月30日、アンバー・マーレイ(18)の非嫡出子として生まれた。間もなく彼女は地元新聞に広告を出した。
「我が子の里親を求む」
これに応じたのがジョン・メイキンだった。彼は週10シリングで子供を養育する旨を提示した。アンバーはこの条件を呑み、前金3ポンドと共にホレスをメイキン家に引き渡した。以来、彼女が我が子に会うことはなかった。その僅か2日後にメイキン家はマクドナルドタウンからチッペンデイルに夜逃げ同然で引っ越してしまったのだ。そして、マクドナルドタウンの裏庭で発見された遺体は、その衣服からホレス・マーレイであることがアンバーにより確認された。
引き取られた直後に殺されたであろうことが明白な事例である。故にメイキン夫妻は殺人容疑で有罪となり、死刑が宣告された。そして、ジョン・メイキンは1893年8月15日、絞首刑により処刑された。
一方、妻のサラ・メイキンは終身刑に減刑され、娘たちの嘆願により1911年4月29日に仮釈放された。そして、その7年後の1918年9月13日に死亡した。72歳だった。
(2012年4月1日/岸田裁月)
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