1922年3月4日早朝、ヘンリー=オン=テムズ近郊の田舎町、ギャローズツリー・コモンにおいて、『クラウン&アンカー』というパブの経営者、サラ・ブレイク(55)の惨殺死体が隣人のエレン・ペインにより発見された。ブレイク夫人はパブの洗い場で、鉄棒で繰り返し殴られた後、ナイフで滅多刺しにされていた。目的は強盗だと思われるが、それにしてもここまで攻撃する必要があったのだろうか? 目を覆いたくなるような酷い有り様だ。
ちなみに、凶器の鉄棒は遺体の脇に放置されていたが、ナイフは現場からは見つからなかった(後日、現場近くの生け垣で発見された)。
近隣への聞き込みにより、犯行は前夜の午後6時30分以降であることが判明した。それまでは店は開いていたのだ。客の一人、ジャック・ヒューイット(15)はこのように証言した。
「農作業を終えて店に寄り、ジンジャー・ビール1杯飲んで帰宅しました。その後、もう1杯飲みたくなって、午後7時40分頃に店に戻りましたが、もう閉まっていました」
そんな彼が殺人容疑で逮捕されたのは4月4日になってからだ。何時間にも及ぶ尋問の末にようやく自供したというから、冤罪の臭いがプンプンするのだが、その際に彼は動機についてこのように語ったと伝えられている。
「活動写真のせいですよ」
(Blame it on the pictures.)
これが事実であるならば、ヒューイットは映画の影響を受けた最初の殺人者ということになる。
新しいところでは、2012年7月20日未明、コロラド州オーロラで映画『ダークナイト・ライジング』の初上映中にショットガンやライフル等で武装したジェイムス・ホームズ(24)が乱入し、観客の12人を殺害、58人に重傷を負わせる事件が発生した。ホームズは前作『ダークナイト』に登場する悪役、ジョーカーを名乗り、その影響下で犯行に及んだことが疑われている。
ロナルド・レーガン大統領の暗殺に失敗したジョン・ヒンクリーもまた映画『タクシー・ドライバー』の影響下にあった。女優ジョディー・フォスターのストーカーだった彼は『タクシー・ドライバー』の主人公、トラヴィスと自分の区別がつかなくなり、映画の筋書き通りに大統領暗殺という暴挙に及んだのである(ジョディー・フォスターは『タクシー・ドライバー』に、トラヴィスに救われる少女の娼婦役で出演している)。
1987年3月24日に逮捕されたゲイリー・ヘイドニクはホラー映画マニアだった。「女を誘拐して奴隷にする」というアイディアは明らかにウィリアム・ワイラー監督の『コレクター』に影響されている。そして、その奴隷たちに己れの子供を生ませて帝国を作るというアイディアはポール・モリセイ監督の『悪魔のはらわた』そのままだし、死亡した被害者を調理して奴隷たちに食べさせるというアイディアは『フライパン殺人』というカルト映画から得たと自ら語っている。
2007年10月8日にメキシコで逮捕された自称詩人、ホセ・ルイス・カルヴァは映画『羊たちの沈黙』に登場する食人鬼、ハンニバル・レクターを神の如く崇拝していた。そして、食人に関する文章を執筆する傍らで、実際に女性を殺害し、調理して食べていたのである。
このように、映画に影響を受けた殺人者は枚挙に暇がない。その元祖がこのジャック・ヒューイットであったのならば、本件はエポック・メイキングな事件である。
ところが、彼がどのような映画を観ていたのか、手元の少ない資料には一切記述がないのだ。
「The movies made him do it.」
と書かれているのみである。1922年当時は当然に無声映画で、チャップリンやロイド、キートン等、ドタバタ喜劇の全盛時代である。確かにボコボコ殴ってるけどさ、それを観て影響されて、犯行に及んだとは到底考え難い。
『カリガリ博士』や『吸血鬼ノスフェラトゥ』等、ドイツ表現主義の怪奇映画に影響されたことも考えられるが、いずれも暴力描写は希薄であるし、ヒューイットは「愚鈍な少年」と評されているので、ドイツ映画は観ていないんじゃないかなあ。田舎町でドイツ映画が上映されていたのかも疑問だし。
結局、映画の関与は「不明」と云わざるを得ない。そして、私の感触としては冤罪なのだが、とにかく有罪となったヒューイットは、その年齢が考慮されて不定期刑に留まったようだ。
(2012年10月18日/岸田裁月)
|