当初は単なる盗難事件だったのである。
1842年4月6日午後9時頃、ウィリアム・ガーディナー巡査は、
「ダニエル・グッドという中年の御者に店のズボンを万引きされた」
との質屋の訴えに応じて、ロンドンはローハンプトンにあるグッドの厩舎を捜索していた。グッド本人とその息子、そして、質屋の店員2人もその場に立ち会っていた。馬具を収めた棚を一通り調べた後、馬草が積まれた場所へと向かう。
「ん? あれは何だ?」
何かが馬草で覆われている。
「ガチョウか何かの死骸かな?」
馬草を払ってランタンをかざす。うわっ、女の胴体じゃないか!
一同がぶったまげているその隙に、ダニエル・グッドは脱兎の如く逃げ出した。厩舎の扉を閉めて閂を掛ける抜け目なさ。息子を置いてっちゃうのはなんとも非道な限りである。まあ、この状況では仕方がないのでしょうなあ。
とにかく、遺体の状況を説明しよう。頭と手足を切断されて、内臓も抜かれていた。おそらく、焼こうとしていたのだろう。厩舎の中には大量の薪が用意されていた。
バラバラにされていたのはダニエル・グッドの内縁の妻、ジェーン・ジョーンズだった。検視解剖によれが、彼女は妊娠5ケ月だった。おそらく、そのことを巡って諍いがあったのだろう。実はグッドには別の愛人がおり、そちらの方が本命だったようなのだ。
一方、指名手配されていたダニエル・グッドは、2週間後の4月20日にケント州トンブリッジで逮捕された。日雇い労働者の中に紛れていたのだが、同僚に元警官がおり、通報されてしまったのだ。
かくして、ダニエル・グッドで殺人容疑で有罪となり、5月23日に絞首刑により処刑された。
しかし、それにしても、どうしてバラバラ事件の真っ只中に質屋でズボンなど盗んだのだろうか? 墓穴を掘るとはまさにこのことだ。
(2012年10月13日/岸田裁月)
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