70年代前半のカリフォルニア州では、ブラック・ムスリムを後ろ盾にした「デス・エンジェルズ」なる暗殺部隊が暗躍していた。黒人の優越性を唱え、白人撲滅のために日々精進していたのである。彼らが関わったと見られる殺人は男性135人、女性75人、子供60人にも及んだ。
「デス・エンジェルズ」のメンバーになるためには、少なくとも白人の男性9人、若しくは女性5人、子供ならば4人を殺していなければならなかった。そして、その資格を得るための殺人が1973年10月から1974年4月にかけてサンフランシスコで相次いだ。この一連の殺人が世に云う「ゼブラ・マーダーズ」である。
1973年10月19日 クイタ・アーグ
10月29日 フランシス・ローズ
10月29日 サリーム・エレカット
11月11日 ポール・ダンシック
11月13日 マリエッタ・ディ・ジローラモ
11月20日 アンジェラ・ロッセリ
イラリオ・ベルッチオ
11月22日 ニール・モイナハン
ミルドレッド・ホスラー
彼らはいずれも町中で、或る者は路上で、或る者は電話ボックスで、或る者は車の中で、或る者は自分の店の中で銃撃された。年齢は20歳から81歳と幅広く、全くのランダムだったことが判る。この時点で警察は既に「デス・エンジェルズ」絡みの事件であることを把握していた。
犯行はしばらく途絶えたが、年が明けると再開された。
1974年 1月28日 タナ・スミス
ヴィンセント・ウォーリン
ジョン・バンビック
ジェーン・ホリー
以上の他にもロクサーヌ・マクミランが銃撃されて重傷を負った。
この日の出来事は「5人の夜」事件として人々に記憶されている。
一晩に4人も殺されては警察のメンツは丸潰れだ。厳戒態勢が敷かれ、道行く黒人が片っ端から尋問された。しかし、犯人逮捕に繋がる情報は一向に得られなかった。
1974年 4月 1日 トーマス・レインウォーター
4月16日 ネルソン・シールズ
間もなく情報提供者に3万ドルの懸賞金がかけられると、これに応じてアンソニー・ハリスが出頭。彼の供述に基づき8人の仲間が逮捕され、うち4人が起訴された。
ジェシー・クック
ラリー・グリーン
マニュエル・ムーア
J・C・サイモン
彼らの裁判は1975年3月3日から1976年3月9日まで、実に1年にも及んだ。集中審理制のアメリカでは異例の長さである。証人は最終的に181人にも及び、検察側の証人になることで訴追の逃れたハリスは12日間も証言台に立ったというから、さぞかしお疲れだったことだろう。陪審員もヘトヘトだ。かくして終身刑を云い渡された4人組は、現在も服役中である。
(2009年2月18日/岸田裁月) |