1986年6月11日、ワシントン州オーバーンでの出来事である。地元の銀行で支店長を務めているスー・スノウ(40)は午前6時に起床し、娘のヘイリー(15)を起すと、出勤に向けて身支度を始めた。30分後、ヘイリーは浴室の床に横たわる母親の姿を発見した。既に息をしていなかった。
検視解剖の結果、死因はシアン化物による中毒死であることが判明した。彼女がいつも服用していたカプセル状の鎮痛剤、エキセドリンの中身がすべてシアン化物に入れ替えられていたのである。
タイレノール事件の再来にオーバーン市民は震え上がった。製造元のブリストル・マイヤーズはジョンソン&ジョンソンに習って迅速に対応した。様々なメディアを通じて注意を呼びかけ、5日後の6月16日には全国規模のリコールを発表した。
その翌日の6月17日、同じくオーバーン在住のステラ・ニッケル(42)からこのような通報があった。
「私の夫も先日、エキセドリンを飲んだ直後に死にました。毒入りだったのかも知れません。至急調べて下さい」
たしかに、彼女の夫のブルース・ニッケル(52)は6月6日の朝、救急車で搬送された病院で死亡していた。担当医師は死因を肺気腫と診断した。しかし、ステラはこの診断に納得しなかった。そして、エキセドリンを服用した直後に意識を失ったことを何度も繰り返していた…。
ん? おかしくないか? どうして彼女は毒入りが出回っていることが報じられる前からエキセドリンを疑っているんだ?
ステラの身辺を洗うと、おかしなことが山積みだった。
まず、彼女は毒入りのエキセドリンを2瓶も所持していた。回収分から発見された毒入りは2瓶なので、出回っていた毒入りは合計で5瓶である。そのうちの2瓶を偶然に買うということはあり得るのか? あり得たとしても、それこそ天文学的な確率である。
次に、夫のブルースには多額の生命保険が掛けられていた。自然死ならば7万千ドル、事故死ならば10万ドルが追加されて支払われる契約である。彼女が死因は肺気腫との診断に納得しなかったのは、事故死と認定して欲しかったからではないのか? つまり、彼女は夫を事故死と認定してもらうために事件を起こしたのではないだろうか?
また、彼女には小切手偽造の前科があった。かなりの借金を抱えており、常に金欠状態だったのである。
一方、鑑識はカプセルの中のシアン化物に緑色の結晶が混ざっているのを発見した。それはペットショップで市販されている殺藻剤のかけらだった。おそらく犯人は殺藻剤を砕いた容器にシアン化物を入れていたのだろう。つまり、犯人は水槽で魚を飼っている。ステラも魚を飼っている。ペットショップの店員は、彼女が同じ殺藻剤を購入していたことを証言した。
ステラの容疑は深まった。しかし、いずれも状況証拠である。はてどうしたものかと考え倦ねていたところ、27歳になるステラの娘、シンディー・ハミルトンが出頭し、母親に不利な証言を並べ立てた。
「母はいつも義父を殺したいと云っていました。退屈な男だったんです」
ちなみに、シンディーは前夫との間に出来た子である。
「母は図書館に出掛けては毒物について調べていました」
この供述は事実だった。図書館を調べたFBIはステラが頻繁に入館していたことを突き止めた。いくつかの本からは彼女の指紋が検出された。注目すべきは『Deadly Harvest』という本だった。シアン化物の項目に彼女の指紋が集中していたのである。
かくして2件の殺人容疑で起訴されたステラ・ニッケルは有罪となり、90年の刑が云い渡された。
娘のシンデイーが母親に不利な証言をすることにより製薬業者の産業団体から25万ドルの報奨金を受け取っていたことから、その証言の信憑性を疑問視する声もあるが、ステラ・ニッケルが限りなく黒であることには変わりない。母親を売ったシンディーにも問題があるとは思うが、正直云って「この親にしてこの子あり」としか思えない。
(2011年1月14日/岸田裁月) |