ブラック・パワーの活動家として知られる「マイケルX」ことマイケル・アブドゥル・マリクは、1933年8月17日にトリニダードで生まれた。父親はポルトガル人、母親はバルバドス人で、イスラム教に改宗する前の名前はマイケル・デ・フレイタスだった。
1957年にロンドンに移住し、当初はスラム街の顔役として知られるピーター・ラッチマンの下で家賃の取り立て等のチンピラ仕事をしていたが、1960年代に入ってからはブラック・パワーの高まりに乗じて、次第に力をつけて行った。「マイケルX」と名乗り始めたのはこの頃だ。おそらく「英国のマルコムX」になりたかったのだろう。だが、二番煎じの感はどうしても拭えない。バッタもんという印象だ。
彼の黒人集会における発言は「白人の男が黒人の女を襲うところを目撃したら、これを射殺すべきである」等、かなり過激なものだった。1967年にはこうした問題発言ゆえに人種関係法違反で投獄されてしまう。翌年に釈放された彼は、ナイジェル・サミュエルという資産家の援助を受けて「ブラック・ハウス」という政治団体を旗揚げする。ジョン・レノンやオノ・ヨーコ、モハメド・アリやサミー・デイヴィス・ジュニアといった著名人も彼のことを支援していた。
マイケルの祖国、トリニダード・トバゴは1962年に英国から独立し、1970年頃には黒人運動の真っただ中にあった。政府を転覆する勢いだった。裏で指揮していたのはマイケルであったことは云うまでもない。祖国の乗っ取りを企んでいたのだが、その年の秋には暴動は鎮圧されてしまった。目論見が脆くも崩れ去ったマイケルは、やがて資金難に陥った。これの埋め合わせをするために、武器の密輸等の違法行為に次第に手を染めるようになっていた。
翌1971年2月、トリニダードに舞い戻ったマイケルは、この地でも「ブラック・ハウス」を設立し、政府転覆の機会を虎視眈々と窺っていた。
1年後の1972年2月19日深夜、マイケルの自宅から火の手が上がり、夜明け前には全焼した。その時、マイケルとその家族はガイアナのジョージタウンにいた。火事の知らせを受けたマイケルは、直ちに弁護士に打電して、敷地内への立入り禁止命令を取らせた。しかし、既に手遅れだった。おそらく火を放ったライバルの武器密輸組織が警察に密告したのだろう。焼け跡と庭は掘り起こされ、数日後には2人の遺体が発掘された。行方不明になっていたジョセフ・スケリットとゲイル・ベンソンだった。
ジョセフ・スケリットは「ブラック・ハウス」の一員だった。彼が殺害されたのは「警察を襲撃せよ」とのマイケルの命令に従わなかったからだ。
1972年2月8日、スケリットは庭の水はけをよくするための溝掘りを命じられた。その作業中に彼はナイフやカットラス(マチェーテに似た鉈)で襲われた。とどめの一撃を喰らわせたのはマイケルである。その首は胴体から殆ど離れていた。
ゲイル・ベンソンは「ブラック・ハウス」の一員たるハキム・ヤマルの恋人だった。しかし、彼女は英国生まれの白人であったため、仲間内からはよろしく思われていなかった。
1972年1月2日、マイケルとその手下どもは彼女を庭に呼び出し、掘られたばかりの穴について質問した。
「この穴は何だと思う?」
「さあ…」
彼女は肩をすくめた。マイケルは答えた。
「この穴は死体を埋めるための穴なのさ」
マイケルは彼女をカットラスで切りつけて、その穴に蹴落とした。遺体の肺からは土が検出されている。つまり、彼女は生きたまま埋葬されたのだ。
「マイケルX」ことマイケル・アブドゥル・マリクは殺人の罪で有罪となり、死刑を宣告された。そして、1975年5月16日に絞首刑に処された。彼が「ハメられた」と見る向きもあるが、何らかの違法行為に加担していたことは間違いないだろう。
ちなみに「マイケルX」は2008年に公開された映画『バンク・ジョブ』に実名で登場する。「1971年に実際に起こった銀行強盗事件の映画化」との触れ込みだが、どうしてそのような映画に「マイケルX」が登場するかというと…ネタバレになるのでこれ以上は書けない。興味のある方は各自確認して頂きたい。
(2011年5月29日/岸田裁月)
|