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ハンナ・キニー
Hannah Kinney (アメリカ)


 

 マサチューセッツ州ボストン在住のハンナジョージ・キニーと結婚したのは1836年のことである。
 ジョージはハンナの3人目の夫だった。17歳の時に結婚した最初の夫は、事業に失敗した後、彼女を家から追い出した。
2人目の夫、イノック・フリーマンはローウェルでバプティスト教会の牧師をしていたが、結婚後1年余りで急逝した。已むなくボストンに立ち返った彼女は、そこでジョージと出会い、結ばれた次第である。

 ところが、彼女は不幸に取り憑かれていたようだ。間もなくジョージの事業が左前となり、彼女が働くことで家計を支えなければならなくなった。 失意の夫は浴びるように酒を飲み、そのことで口論が絶えない。おまけに夫はギャンブルに手を出し、山のような借金を拵える始末。挙げ句の果てに梅毒を患ったというのだから、もう、どんだけ不幸やねん。
 1840年夏にはジョージは床に伏してしまう。何人もの医師が呼ばれて、モルヒネや阿片を含む様々な薬が処方されたが、症状はちっとも回復しなかった。やがてインチキ療法にも手を出し、成分不明の如何わしい薬を色々と服用した挙げ句、8月9日に死亡。それはハーブ茶を飲んだ直後のことだった。

 ジョージの体内からは砒素が検出された。彼の友人が、
「ジョージが最後に口にしたハーブ茶を試しに味見してみたところ、しばらくして具合が悪くなった」
 と証言したことから、そのハーブ茶を入れたハンナが夫殺しの容疑で逮捕された。しかし、彼女の有罪を立証する証拠は一つもない。問題のハーブ茶に砒素が混入されていたかどうかは判らない。また、ジョージは砒素を自ら服用していた節がある。当時は「梅毒には砒素が効く」との俗説が流布していたからだ。うっかりして致死量を服用してしまった可能性も否定出来ないのだ。
 また、ジョージには自殺するだけの理由がある。事業の失敗。山のような借金。おまけに梅毒。これだけマイナス要素が出揃えば、自殺も宜なるかなと納得出来る。
 これに対して検察側は、前の夫も毒殺されたことを匂わせて、ハンナを稀代の毒婦に仕立て上げようとした。しかし、数々の証言は、臨終間近のジョージがハンナに感謝していたことを物語っていた。俺には過ぎた女房だったと。

 かくして陪審員はわずか5分の協議で無罪を評決した。妥当な結論と云えよう。

(2009年6月15日/岸田裁月) 


参考資料

『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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