リチャード・コネルの短編小説『The Most Dangerous Game(邦題:世にも危険なゲーム)』はマンハントものの古典的傑作である。孤島に流れ着いた主人公が、ザーロフ将軍が興じる「人間狩り」の標的にされる物語だ。1932年には『キングコング』のセットを流用して映画化もされている。
ゾディアックの暗号文の一節「man is the most dangerous animal」がこの映画の台詞だったことから、犯人はこれに影響されて犯行に及んだとの説もある。しかし、ゾディアックの犯行はあまり「人間狩り」という感じがしない。彼が狙ったのは動かない標的だからだ。むしろ、このロバート・ハンセンの方が影響を受けた可能性が大きい。
ロバート・ハンセンは1939年2月15日、アイオワ州エスターヴィルに生まれた。極めて内向的な少年だったという。そして、ニキビと吃音のために学校ではイジメられた。
ハイスクールを卒業後は陸軍に入隊し、最初の結婚も果たす。しかし、2年後には放火の容疑で逮捕され、3年の懲役を云い渡される。妻から離婚を求められたのは云うまでもない。出所後もこそ泥を繰り返し、何度も投獄されている。
1967年には過去と決別するかの如く、2人目の妻と共にアラスカ州アンカレッジに移り住む。そして、この地で狩猟にのめり込んで行ったのである。
一連の事件が起こったのは1980年になってからだ。アンカレッジの売春婦が続々と行方不明になったのだ。尤も、職業が職業だから警察は当初は余り気にしていなかった。どうせトラブルを起して他所に移ったのだろうと。ところが、うちの2人が遺体となって発見されると、放っておくわけにも行かなくなった。翌年には更に2体が見つかった。いずれも銃で撃たれて、浅い穴に埋められていた。
1983年6月13日、シンディ・ポールソンという売春婦が派出所に駆け込み、あわや殺されるところだったと涙ながらに訴えた。その手には手錠が掛けられたままだった。そして、彼女が犯人として名指ししたのが、他ならぬロバート・ハンセンだった。
ハンセンは当初は一連の事件とは無関係と思われていた。ところが、家宅捜索により1枚の地図が発見されると流れは変わった。その地図には4人の遺体が埋められていた場所に印がつけられていたのだ。他にも17の印がある。まだ埋まっているということなのか?
自宅から押収されたライフルは、弾道検査により4人を殺害した凶器と認定された。また、彼は事件に関する新聞の切り抜きを集めていた。犠牲者から奪い取った宝石類を恰も戦利品の如く隠し持っていた。もはや云い逃れは出来なかった。
かくしてハンセンは司法取引に応じて17件の殺人を認め、うち4件の殺人でのみ裁かれて461年の刑が云い渡されたのである。
裁判で明らかになったその犯行は異常そのものだった。軽飛行機を所有していたハンセンは、売春婦を乗せて人里離れた小屋へと飛ばす。そこで縛り上げた上で強姦する。そして、彼女を荒野に解き放ち「人間狩り」を楽しむのだ。なんと、彼は『世にも危険なゲーム』を実践していたのである。恐ろしいことである。
世にも危険な男、ロバート・ハンセンは現在もなおアラスカ州シュワードの矯正施設に収容中である。他にも4件の殺人への関与が疑われているが、その真相は明らかになっていない。
(2009年4月23日/岸田裁月) |