16歳の連続殺人犯、カイエタノ・ゴディーノは1896年10月31日、ブエノスアイレスで生まれた。両親はカラブリアからの移民である。男ばかりの8人兄弟だったというが、彼が何番目なのかは判らない。
父親のフィオーレ・ゴディーノはアルコール中毒の暴れ者で、おまけに梅毒を患っていた。おかげで先天性梅毒として生まれたカイエタノは、間もなく腸炎を起して死にかけた。回復したらしたで、今度は父親から虐待された。これでは心がねじ曲がってしまうのも宜なるかな。小動物への虐待が彼の唯一の気晴らしだった。
1904年9月28日、7歳のカイエタノは2歳の幼児を虐待したかどで逮捕された。殴り倒した挙げ句、排水溝に突き落としたところを巡査に見咎められたのだ。だが、年齢が考慮されたのだろう。厳重注意の上、数時間後には親元に引き渡された。
1年後、カイエタノはまたしても2歳の幼女を虐待したかどで逮捕された。素手ではなく石で殴ったというから凶悪だ。だが、このたびも数時間後には釈放されてしまった。これがいけなかった。
カイエタノが後に自供したところによれば、彼の最初の殺人は1906年3月、9歳の時のことだった。2歳の幼女の首を締め、生き埋めにしたというのだ。この件は当時は発覚しなかった。また、彼が埋めたという場所にはビルが建っており、確認のしようがない。だが、カイエタノが嘘をつく理由はなく、真実なのだと思われる。
やがて十代になったカイエタノは、自慰に夢中になるのはいいとして、近所の犬や猫を殺してまわった。さすがにこれはアカンやろということで父親は彼を警察に突き出し、2ケ月ほど鑑別所に収容された。
だが、出所後もカイエタノの悪さは治まらなかった。1908年9月9日には2歳の幼児をプールで溺れさせようとした。6日後の9月15日には2歳の幼児の瞼を煙草の火で焼こうとした。呆れ果てた父親は再び彼を警察に突き出し、3年ほど鑑別所に収容された。
出所後のカイエタノは、更正するどころかパワーアップしていた。
1912年1月17日には近所の倉庫に放火した。鎮火するまでに4時間も要する大火だった。
8日後の1月25日には13歳の少年、アルトゥーロ・ラウローナを殴り倒した挙げ句に絞殺した。彼の遺体は翌日に廃屋で発見された。
3月7日には5歳の少女、レイナ・ヴァイニコフのドレスに火を放った。彼女は全身に火傷を負い、数日後に死亡した。その後もカイエタノはちょいちょい放火している。
11月8日、カイエタノは8歳の少年の首を絞めたかどで逮捕された。ところが、裁判までの間、彼は釈放されてしまった。これがいけなかった。懲りることのないカイエタノは、その後も児童虐待や放火を繰り返し、またしても殺人を犯すのである。
12月3日、カイエタノは家の前で遊んでいたジェズアルド・ジョルダーノを「お菓子を買ってあげるから」と廃屋に誘き出し、その手足を縛って殴る蹴るを繰り返した挙げ句、頭に釘を打ち込んだ。
翌日未明、16歳の殺人鬼はようやく殺人容疑で逮捕された。
小柄で耳が大きかったために「大耳のポニー(Petiso Orejudo)」と呼ばれたカイエタノは、刑務所の中でも囚人の飼い猫を殺し、袋叩きに遭っている。1944年11月15日に獄中で死亡した時は、誰も同情しなかった。
(2010年12月16日/岸田裁月) |