1983年3月14日、カリフォルニア州サンディエゴ近郊アンザ・ボレゴの砂漠で2つの白骨死体が発見された。1つは頭蓋骨を打ち砕かれ、もう1つは喉の骨が砕かれていた。いずれも若い女性である。
間もなく歯科医のカルテから、被害者はベス・ジョーンズ(19)とマーガレット・クリューガー(16)であることが判明した。共にアナハイム出身の不良少女で、7ケ月ほど前から行方不明になっていた。
聞き込みの結果、容疑者として浮上したのが中古家具商を営んでいるフレッド・ダグラス(55)と従業員のリカルド・ヘルナンデス(38)だった。しかし、両名共に高飛びした後だった。
やがてメキシコで逮捕されたヘルナンデスは犯行を自供した。
「酒場で出会った女の子たちに『500ドル出すからポルノに出ないか』と持ち掛けたんです。遊ぶ金が欲しかった2人は乗って来ました。そして、さんざん拷問した挙げ句にフレッドが殺したんです。まず、若い方の喉を剃刀で切り裂いて、ライフルの銃床で頭を叩き割った後、もう1人の首を絞めて殺しました」
フレッド・ダグラスの身柄もネバダ州ラスベガスで取り押さえられたが、彼は犯行の一切を否認した。ならば、どうして相棒は自供したのかと問いただすと、こう答えた。
「あいつはヤク中なんですよ。おそらく全て妄想でしょう」
マスコミはこの事件に飛びついた。というのも、このフレッド・ダグラスという男、6年前の1977年に「スナッフ・ムービー=殺人映画」を撮ろうとした容疑で逮捕されていたのだ。折しも『スナッフ』というインチキ映画が公開中で、おそらくそれに触発されたのだろう。女友達に、
「スナッフ・ムービーを撮ろうと思うんだが、若い売春婦を2人ばかり見つけて来てくれないか?」
などと頼んだために通報されて、おとり捜査の挙げ句にしょっぴかれちゃった前歴の持ち主だったのだ。この時は結局、未遂に終わったわけだが、このたびは実際にスナッフ・ムービーを撮っていたのではないだろうか?
警察はこの件を否定した。
「本件においてスナッフ・ムービーなど存在しません。存在していれば、我々はこれほど手を焼いていませんよ」
そうなのだ。リカルド・ヘルナンデスの供述以外には殆ど証拠がなかったのだ。結局、その証言が唯一の証拠となり(ヘルナンデスは証言することの見返りとして不起訴)、フレッド・ダグラスには死刑が云い渡されたわけだが、2003年に終身刑に減刑されたようだ。物証がない状態で死刑にすることを躊躇したのだろう。
(2010年2月25日/岸田裁月) |