ナサニエル・コード
1985年7月19日の犯行現場
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ナサニエル・コードは1956年3月12日、ルイジアナ州北西部の都市、シュリーブポートの貧しい黒人家庭で生まれた。幼い頃から素行が悪く、20歳の時に強姦致傷の罪で投獄されている。仮釈放されたのは1984年のことである。その後、間もなく結婚し、何とか更正しているように思えたのだが、その裏ではこれまで以上の悪事を繰り返していた。
1984年8月31日、シュリーブポートの黒人居住区において、デブラ・フォード(25)の無残な遺体が彼女の自宅で発見された。犯人は前日の晩に浴室の窓から侵入したようだ。そして、電気コードで彼女を縛り上げ、猿轡を噛ませた後、ナイフで胸を滅多刺しにした。喉も執拗に切り裂かれており、頭が胴体から離れそうになっていた。
約1年後の1985年7月19日、デブラ・フォードの家から数ブロックしか離れていない場所で類似の事件が発生した。しかも、このたびの犠牲者は4人である。
ヴィヴィアン・チェイニー(34)
ビリー・ジョー・ハリス(ヴィヴィアンの男友達・28)
ジェリー・カルバート(ヴィヴィアンの弟・25)
カーライサ・カルバート(ヴィヴィアンの長女・15)
ヴィヴィアンは両手を電気コードで縛られて、浴槽で溺死させられていた。
ビリーは胸を2発、頭を2発撃たれた後、喉を切り裂かれていた。
ジェリーは就寝中に至近距離から頭を1発撃たれていた。ちなみに、彼は盲人で、その面倒は姉のヴィヴィアンが見ていた。
カーライサも両手を電気コードで縛られて、喉を執拗に切り裂かれていた。頭が胴体から離れそうになっていた。
なお、母親たるヴィヴィアンのナイトガウンには、カーライサの血液が大量に付着していた。このことはつまり、犯人は母親の目の前で娘の首を切り落とそうとしていたことを意味する。想像するだにおぞましい。
おそらく犯人は19日未明に裏口から押し入り、2人の男を射殺した後、女子供を弄んだのだろう。ところが、不思議なことに犯人はヴィヴィアンの次女(10)と三女(7)は殺害していない。この2人の存在に気づかなかったのか? それとも年少ゆえに殺すに忍びなかったのか? 手元の資料ではこの点は不明だが、後者だとすれば、些か間抜けである。生かしておけば面が割れる可能性があるからだ。
面は割れなかったようだ。犯人は一向に逮捕されなかった。そして、約2年後の1987年8月5日にまたしても類似の事件が発生した。このたびの犠牲者は3人だった。
ウィリアム・コード(73)
ジョー・ロビンソン(12)
エリック・ウィリアムス(8)
ジョーとエリックの2人はウィリアムの親友の孫だった。その晩にたまたまウィリアムが預かっていたために犠牲になったのだ。
ウィリアムは両手を電気コードで縛られて、激しく殴られた上、ナイフで胸を滅多刺しにされていた。
ジョーとエリックは寝室で絞殺されていた。
さて、ここで賢明なる読者諸君ならば気づく筈だ。
「おいおい、待てよ。殺されたウィリアム・コードっていう爺さんは犯人と同じ姓じゃないか。犯人の親族なのか?」
そうなのだ。ウィリアム・コードは犯人の祖父だったのだ。
事件があった晩、ナサニエル・コードは祖父の家から去るところを隣人に目撃されていた。彼がその素行の悪さ故に出入り禁止になっていたことは付近の者なら誰もが知っている。かくしてナサニエルの名が捜査線上に上がり、遂にお縄となった次第である。
ナサニエル・コードは5件の殺人で有罪になり、死刑を宣告された。どういうわけか、最後の件では起訴されなかった。
(2011年5月14日/岸田裁月) |