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ヘンリー・ブリスボン
Henry Brisbon
a.k.a. I-57 Killer (アメリカ)



ヘンリー・ブリスボン

 1972年から76年にかけて、シカゴのインターステイト・ハイウェイ57号線(I−57)では強盗殺人が相次いでいた。その犯人と目されているのがヘンリー・ブリスボンである。しかし、彼は1件でしか裁かれていない。1973年6月3日にジェイムス・シュミットドロシー・サーニーのカップルを殺害した件である。3人の共犯者と共に彼らを襲ったブリスボンは、路肩の草むらに俯せになるよう命じ、命乞いされると、
「最後のキスをしな」
 こう云い放ち、至近距離からショットガンで2人の後頭部を撃ち抜いたのである。冷酷な犯行である。彼らが奪ったのはたったの54ドルと婚約指輪に過ぎなかった。

 1977年になってようやく逮捕されたブリスボンには1000年から3000年の刑が云い渡されたわけだが、この男が特筆に値するのはここからだ。塀の中でも懲りることなく暴行事件を繰り返したのである。血の気が多かったのだろう。1978年10月19日には遂に囚人仲間のロナルド・モーガンをスプーンで刺し殺してしまう。その裁判を待つ間にも暴動を指揮する等、全く懲りた様子がない。かくして「情状酌量の余地なし」として彼には死刑が云い渡されたのである。退廷する際に、彼はこのように叫んでいたという。

「俺を死刑にすることは出来ないぜ! 俺はまた殺す! そして、またここに来る! その後にまた殺す! これを繰り返してやる!」

 死刑から逃れるために殺人を繰り返すことを宣言したのは、後にも先にもこいつだけだろう。確かに名案ではある。どうしてこれまで誰も思いつかなかったのだろうか?

 ブリスボンが予告を実行に移したのは1983年2月15日のことである。隙を見て独房から抜け出し、2人の囚人仲間を切りつけたのだ。うち1人は「キラー・クラウン」ことジョン・ウェイン・ゲイシーだった。シカゴで最も有名な連続殺人犯である。幸いに、というか、別に死のうが生きようがどうでもいいのだが、2人とも致命傷には至らなかった。

 なお、ゲイシーの方は1994年5月10日に処刑されたが、ブリスボンが処刑されたとの情報はネットで探しても見つからなかった。彼は今でも更なる殺人を画策しているのだろうか?

(2009年4月9日/岸田裁月) 


参考文献

『SERIAL KILLERS』JOYCE ROBINS & PETER ARNOLD(CHANCELLOR PRESS)
http://murderpedia.org/male.B/b/brisbon-henry.htm


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