1951年にユタ州ヒンクリーで生まれたアーサー・ビショップは熱心なモルモン教徒だった。熱心な余りに少年部の指導員を買って出たこともある。極めて優秀且つ真面目な男と思われていた。ところが、そんな外ヅラは嘘っぱちだったことが後に判る。彼はゲイのペドフィリアで、何十人もの少年たちにおイタをしていたのだ。もっとも、この件が発覚したのは殺人容疑で逮捕後のことだ。少年たちは恥ずかしさ故にダンマリを決め込んでいたのである。
1977年に横領事件を起こして執行猶予判決を受けたビショップは、規定に反してソルトレイクシティに逃げ、そこで「ロジャー・ダウンズ」の偽名で暮らした。そして、5人の児童を性的に虐待した挙げ句に殺害した。
1979年10月14日 アロンゾ・ダニエルズ(4)
1980年11月 8日 キム・ピーターソン(11)
1981年10月20日 ダニー・デイヴィス(4)
1983年 6月23日 トロイ・ワード(6)
1983年 7月14日 グラエム・カニンガム(13)
最後の事件の直後、ビショップはまたしても横領の容疑で逮捕された。その際に彼は進んで本名を名乗り、一連の児童殺害事件への関与を仄めかした。後にこのように語っている。
「あの時に逮捕されて良かった。でなかったら、また殺していた」
罪悪感を感じてはいたようだ。だが、己れの欲望を抑えることが出来なかった。少年を犯し、そして殺害するという欲望を。
彼が案内した場所からは5人の遺体が発掘された。かくして死刑を宣告されたビショップは、1988年6月10日に薬物注射により処刑された。
ちなみに、ビショップは獄中からポルノ規制に関する学会にこのような手記を寄せている。
「ポルノが私を破滅させました。私は少年たちを裸にしたいという妄想に捕われていたわけですが、ポルノショップに行けば、そんな写真を容易に手に入れることが出来たのです。私はそれらを眼にすることで、妄想を限りなく膨らませてしまったのです。もしポルノが存在しなければ、私の性的嗜好はかくも酷くはならなかったでしょう」
う〜ん。必ずしもそうは云えないと思う。ポルノが存在したおかげで性犯罪に走らないで済む者も多い筈だ。あくまでもケース・バイ・ケースだろう。
(2009年12月9日/岸田裁月) |