チャリングクロス駅の手荷物預かり所
問題のトランク
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1927年5月10日、ロンドン中心部のチャリング・クロス駅での出来事である。その日はまだ5月だというのにとても暑かった。子供たちは広場の噴水で水遊びを楽しんでいた。すると、手荷物預かり所の方からプ〜ンと悪臭が漂い始めた。
なんか臭うなあ。
肉が腐ったような臭いだわ。
預かり所の係員は臭いの出所を特定した。トランクだ。直ちに巡査を呼んで調べてもらうと、中には女性のバラバラ死体が詰められていた。
頭部は胴体に繋がったままだったが、手足は付け根から鮮やかに切断され、茶色の包装紙で包まれて、紐で縛られて収納されていた。検視の結果、死因は窒息死と認定された。
トランクの中には遺体の他にも数々の手掛かりが残されていた。被害者の衣類や靴、ハンドバッグ、血に染まった布巾等である。中でも警察が特に注目したのは下着だった。そこには「P. Holt」という洗濯屋のタグが縫いつけられていたのだ。
この手掛かりから警察は「P. Holt」がサウス・ケンジントンに住むホルト夫人であることを突き止める。ところが、ホルト夫人はピンピンしている。殺されたのは彼女の下着を身につけていた他の誰かである。夫人に遺体を検分してもらうことで、それが誰だか特定できた。かつて夫人宅で女中として働いていたロールズ夫人、本名ミニー・ボナティという36歳の売春婦だった。
ボナティという姓のイタリア人給仕と結婚していた彼女は、その口喧しい性格が災いして別居中だった。ロールズ姓を名乗っていたのは、当時フレデリック・ロールズという男と同棲していたからである。ところが、このロールズとも仲違いし、今では街角に立つことでどうにか生計を立てていたのだ。
なお、ボナティもロールズも共に無実であることが判明した。
やがて駅前広場のゴミ箱からトランクの預かり証が発見された。預けられたのは5月6日。駅のポーターはそのようなトランクを持ってタクシーで乗りつけた男のことを憶えていた。
この情報が新聞に載ると、タクシー運転手が名乗り出た。
「その男なら乗せたのはおそらく私ですよ。やけに重いトランクだったことを記憶しています。『札束でも入ってるんですか?』と冗談で云うと、男は笑って『本だよ』と答えました。乗せたのはロチェスター・ロウのオフィスビルの前でした」
聞き込みにより、その場所はロチェスター・ロウ86番地のオフィルビルであることが特定された。トランクを持った男が、このビルの前からタクシーに乗る姿が目撃されていたのだ。
ビルを調べると、間借人のうち一人だけが失踪している。3階に2部屋を借りて『エドワーズ&カンパニー』という不動産業を営んでいたジョン・ロビンソンである。
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