オハイオ州で電気椅子に座った最初の女、ドイツ生まれのアンナ・マリー・ハーン(旧姓フィルサー)は見かけによらず、なかなかのワルである。叔父に連れられてオハイオ州シンシナティに移住したのは21歳の時。家事をまるでやらずに遊び呆ける彼女は叔父の家から追い出され、やがて中年の男やもめ、カール・オズワルドの家に転がり込む。彼から結婚を迫られると、
「私にはドイツに残したオスカーという息子がいるの。こっちに連れて来たいんだけど、旅費を出してくれないかしら?」
ほう、そうかいそうかい。その代わりに嫁になってくれるかい。いいだろういいだろう。
ところが、息子を連れて帰国した彼女は約束を反故にし、若い電話交換手、フィリップ・ハーンと結婚、オズワルドからくすねた金を元手にパン屋を開くのだった。
世渡り上手な女である。
とにかく、年配の男に取り入るワザに長けていた。
パン屋がそれほど儲からないことに気づいた彼女は、己れのワザを生かして介護の仕事に就くことにした。最初の被介護者、アーネスト・コッホが死んだ時、遺言状の筆頭相続人はアンナに書き換えられていたことからも、彼女の取り入り上手ぶりが窺える。おそらく愛人のような関係に持ち込むのだろう。遺族は当然に異議を申し立てた。同じアンナのニコル・スミスの時のような泥試合だ。
「あの女が殺したに違いないわ!」
ところが、検視の結果はシロだった。遺言状も有効とされて、アンナはまんまと大金を手に入れたのである。コッホの死因が癌だったことは間違いないようだが、アンナがこれに味をしめたこともまた間違いない。
アンナの次の獲物は、アルバート・パーマーという70代の男だった。今回の彼女は「生前に2000ドル借りる」という方法で煩わしい相続問題を回避した。彼が急死すると、借用書を破り捨てたことは云うまでもない。
彼女の「ビジネス」は次第に狡猾になっていった。身寄りのない者を周到に選び、その上でヤコブ・ワグナーには「姪のアンナに全財産17000ドルを譲る」との遺言状を書かせた。この手口でジョージ・グッセルマンからも15000ドルをせしめた。
次の獲物のジョージ・ヘイスは唯一の生き残りである。それは1匹の蝿のおかげだった。彼のビールグラスにとまった蝿が身悶えながら死んだのだ。
「おい、アンナ。お前もこれを飲んでみろ!」
彼女はかたくなに拒絶。そして叩き出されたわけだが、ヘイスは警察には通報しなかった。そのために、もう一人の犠牲者を出してしまった。
最後の犠牲者ジョージ・オッペンドルファーは、アンナに勧められたコロラド行きの旅の途中、デンバーのホテルで急に具合が悪くなり、数日後に死亡した。アンナはホテルの宿帳に「夫妻」と記入していたにも拘らず、葬儀代の支払いを拒否、平然とこう云ってのけた。
「私たちは電車の中で知り合っただけの赤の他人なのよ」
このたびはアンナは少々目立ち過ぎた。これまで発覚しなかったことで慢心していたのだろう。検視の結果はクロと出た。砒素が検出されたのだ。アンナの所持品からも大量の砒素が発見されて、遂に世渡り上手は逮捕された。
自らを「慈悲の天使(angel of mercy)」と呼び、
「私がしたことは殺人じゃないの。現世の苦悩から早めに解放してあげただけなのよ」
などと詭弁を弄するアンナは、この「ビジネス」で少なくとも7万ドル稼いだと云われている。しかし、その金を使い切ることなく、1938年12月7日に電気椅子で処刑された。
(2007年10月25日/岸田裁月)
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