アメリカ南西部を中心に暗躍したアルフレッド・クラインは「バターミルクの青髭」の通り名でも知られている。彼がバターミルクを飲ませた相手は、いつもその直後に死んでしまうからだ。そして、遺産をせしめた。彼はこの手口で少なくとも8万2千ドルを稼いでいる。
1931年 キャリー・メイ・ポーター
ローラ・カミングス
1932年 アーネスト・ジョーンズ
アン・クライン
この年の末、クラインは窃盗の容疑で起訴されて15年の懲役刑を喰らう。もちろん殺人の容疑でも捜査されたが、有罪に持ち込めるだけの証拠は見つからなかった。抜かりのないクラインは、犠牲者が死ぬとすぐさま火葬に付していたのだ。
やがて釈放されたクラインは、再び昔の稼業へと戻って行く。
1943年 エリザベス・ハンナ・クライン
1944年 アリス・カーペンター
1945年 イザベル・ヴァン・ナッタ
デロラ・クレブス・クライン
クラインは殺人に関しては完全犯罪を成し遂げた。彼を殺人の容疑で裁くことは遂に出来なかった。しかし、この男を野放しにすることはあまりにも社会正義に反する。彼の経歴を見た裁判官はこう云った。
「まるで社員1人の犯罪株式会社だな」
文書偽造に関する9つの訴因で起訴されたクラインは、126年の懲役刑を云い渡された。そして、1948年8月5日に獄死。その犯行の詳細は、ほとんど何も判っていない。
(2007年11月30日/岸田裁月)
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