コリン・ウィルソンは著書『猟奇連続殺人の系譜』の「ルツィアン・スタニアク」の項の冒頭でこのように述べている。
「鉄のカーテンは犯罪学者にとっては苛立たしいものだった。共産圏の警察も西側と同じような犯罪に直面しているのかどうか、まったく知る術がなかったからである。しかし60年代末に『赤い蜘蛛』事件の噂が流れてきて、東側でも同じような連続殺人が発生していることが明らかになった」
連続殺人が人類共通の病理であることを証明したのが「赤い蜘蛛」と呼ばれたルツィアン・スタニアクだったのである。
1964年7月4日、ポーランドの共産党機関紙『プシェグロンド・ポリティッチネ』の編集者宛に匿名の手紙が届いた。それは赤いインクで、まるで蜘蛛が這ったような筆跡で書かれていた。
「涙のない幸福はなく、死を迎えぬ生もない。気をつけよ」
編集者は自分への脅迫状だと考え、警察に保護を求めた。ところが、そうではなかった。これから始まる連続殺人事件の予告状だったのだ。
7月22日、ワルシャワ解放20周年を記念して、各地で祝典が行われていた。手紙の主はわざわざその日を選んで犯行に及んだ。標的となったのはワルシャワの北250kmの町、オルシュティンに住むダンカ・マチェヨーヴィッツ(17)だった。彼女は町のパレードに出掛けたまま帰らなかった。翌日に全裸死体となって発見された。強姦された上に、下半身を無惨に切り裂かれている。その翌日、『クリスィ』紙に赤いインクの手紙が届いた。
「オルシュティンで露に濡れた花を摘んだ。どこか他の場所でまた甘い花を摘むつもりだ。葬式のない祝日はない」
次の犯行も国民の祝日だった。1965年1月17日、ワルシャワで催された学生パレードでリーダーを務めていたアニタ・カリニアック(16)が帰宅途中に行方不明になったのだ。翌日、警察に赤いインクの手紙が届き、遺体の場所を知らせた。それは彼女の家の向いにある皮革工場の地下室だった。彼女は強姦された後、膣に15cmもの釘を打ち込まれていた。
次の犯行は11月1日の万聖節だった。ワルシャワの西200kmの町、ポズナニでヤンカ・ポビエルスキーが襲われた。犯人は彼女の口にクロロフォルムを浸した布を押しつけて、駅の荷造り所で強姦した後、ドライバーで殺害した。遺体は下半身をズタズタに切り裂かれて、荷箱に詰め込まれていた。
翌日、地元の新聞に赤いインクの手紙が届いた。
「恥辱の痕を洗い流せるのは、ただ悲しみの涙のみ。情慾の炎を消せるのは、ただ苦悩の痛みのみ」
この文はポーランドの詩人ステファン・ジェロムスキーの作品『灰』からの引用だった。
次の犯行は翌1966年5月1日のメーデーだった。ワルシャワ郊外のジョリボシュでマリーシャ・ガラツカ(17)が、飼い猫を探しに出掛けたまま行方不明になった。ほどなく裏の物置き小屋で遺体が発見された。はらわたが抉り出されて、太腿の上に並べられていたというからえげつない。犯人の残虐性はエスカレートしている。
手紙が送りつけられる以前の事件を調査した警察は、同種の事件が他にも14件あることを確認した。いずれもワルシャワから鉄道で行ける場所で起きている。拠点はワルシャワだと見てよいだろう。しかし、犯人を辿る手掛かりを掴むためには、次の犠牲者を待たなければならなかった。
次の犯行はその年のクリスマス・イブだった。クラクフからワルシャワへと向う列車の個室で、女性の遺体が客室乗務員により発見されたのだ。革のミニスカートが引き裂かれ、腹部と太腿を切り裂かれている。乗務員は直ちに警察に通報した。
「まだ犯人が列車に乗っている可能性がある。そのまま停車せずにワルシャワまで直行せよ」
残念ながら怪しげな人物は乗っていなかったが、列車の郵便車両に赤いインクの手紙が投函されていた。「またやった」とだけしか書かれてなかった。
犠牲者はクラクフに住むヤニーナ・コジエルスカだと判明した。担当刑事はコジエルスカという名前に覚えがあった。2年前にワルシャワでアニエラ・コジエルスカという女性が殺されていたのだ。調べてみたら姉妹だった。ヤニーナはアニエラの妹だったのだ。
犯行現場の個室を電話で予約したのは「スタニスラフ・コズィエルスキー」と名乗る男だった。切符を受け取り、代金を支払ったのはヤニーナである。そして、彼女は1人で乗り込み、改札係に「後から夫が来る」と話している。つまり、彼女は犯人と知り合いであり、しかも「夫」と称するほどに親しい間柄だったのだ。
遺族への聞き込みからは何も判らなかったが、やがて姉妹が美術学校や美術クラブでモデルのアルバイトをしていたことを突き止めた。ここで担当刑事はピンと来る。例の赤いインクは絵の具をテレビン油と水で溶いたものだったからだ。犯人は画家である可能性が高かったのだ。
美術クラブの会員は118人いた。その多くは医師や新聞記者等、社会的地位の高い専門職についていた。刑事はロッカーを見せてもらった。そして、或るロッカーを開けるなりギョッとした。中はナイフでいっぱいだったのだ。
「ああ、この方はナイフで絵の具を塗るんですよ。赤い色の絵の具を好んで使います。ひとつお見せしましょうか?」
それは「生命の輪」と題された作品で、花が牛に食べられ、その牛が狼に食べられ、その狼が猟師に撃たれ、その猟師が女性の運転する車に弾かれ、そして、その女性が腹を裂かれて野原に横たわり、そこから花が咲き乱れていた。
「オルシュティンで露に濡れた花を摘んだ。どこか他の場所でまた甘い花を摘むつもりだ」
この言葉と絵はあまりにも符合していた。作者の名はルツィアン・スタニアク。政府刊行物の出版局に勤務する26歳の翻訳家だった。
警察は彼の家に急行したが留守だった。一歩遅かったのだ。この遅れのためにもう1人の犠牲者を出してしまう。ボジェーナ・ラチキエヴィッツ(18)はその夜、駅の宿泊室に連れ込まれ、ウォッカの瓶で殴られて殺害された。割れた瓶にはスタニアクの指紋が残されていた。その翌朝、スタニアクは帰宅したところを逮捕された。
20件の殺人すべてを認めたスタニアクは、殺人に至った動機をこのように供述した。かつて彼の両親と姉が凍りついた路面でスリップした車にはねられて死亡した。しかし、運転手の女性はお咎めなしだった。以来、彼は女性全般を憎悪するようになった。彼が最初の女性を殺したのは、彼女がその時の運転手に似ていたからだ…。この供述の真偽は判らない。ただ、彼の作品「生命の輪」とはリンクしている。
スタニアクは「赤い蜘蛛」の6件でのみ有罪となり、死刑を宣告されたが、後に精神病と診断されて癲狂院に収容された。
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