間抜けな誘拐事件である。現実に人が何人も死んでいるので笑ってしまっては申し訳ないが、そのあまりの間抜けっぷりには失笑を禁じ得ない。ホセイン兄弟といい、どうして英国の誘拐事件は間抜けなのだろうか? おそらく犯人も、警察も誘拐に慣れていないからだろう。
1975年1月14日、17歳の学生レスリー・ホイットルがイングランド中西部シュロップシャーの自宅から姿を消した。現場にはダイモ社製のテープライターで打ったメッセージが残されていた。
「警察 呼ぶな 身代金 5万ポンド 用意して スワン・ショッピングセンターの 電話ボックスで 午後6時から 午前1時までの間 待て もし 電話がなければ 次の夜 もう一度 来い 電話を取ったら 名前だけを名乗って よく聞け 文句を云わず 指示通りにしろ 電話を 受けた時から 秒読みは 始まっている 警察や 小細工は 死に繋がる」
「5万ポンドは 白い スーツケースに 入れろ」
「全部 古い札 1ポンド札で 2万5千ポンド 5ポンド札で 2万5千ポンド 人質は 引き換えには 帰さない 5万ポンド 受け取って その後に解放する」
レスリー・ホイットルは3年ほど前、父親の遺産8万ポンド余りを相続したと新聞で報道されたことがあった。おそらく犯人はこれを読み、以前から誘拐を計画していたのだろう。
父親から譲り受けたバス会社を経営する兄のロナルド・ホイットルは、直ちに警察に通報し、該当する電話ボックスを盗聴する準備が進められた。ところがとんだ邪魔が入る。情報を聞きつけたフリーのジャーナリストが夜のニュースで誘拐を公表してしまったのである。
警察に通報したことがバレてしまったも同然である。しかし、それでも犯人がそのニュースを耳にしていない可能性だってある。ここは電話を待つべきだが、なんと警察は9時30分にロナルドを引き揚げさせてしまう。大失態である。後に判ったことだが、犯人は約束通りに午前12時に電話をかけていたのだ。そして、誰も出ないことに一人腹を立てていたのである。
翌日の15日にも警察はロナルドを電話ボックスに待機させなかった。そして、自宅にかかってきたイタズラ電話を本物だと思い込み、そのためにロナルドはありもしない受け渡し場所を求めて一晩中ウロウロすることとなるのである。
一方、犯人はというと、その晩は受け渡し場所として予定していたコンテナ車両のターミナルの下見をしていた。ところが、こちらにもとんだ邪魔が入った。警備員に見咎められてしまったのである。慌てた犯人は彼に向けて6発も発砲すると、一目散に逃げ出した。警備員のジェラルド・スミスは瀕死の重傷を負い、翌年の3月に死亡した。
まるで犯人に身代金を受け取らせたくない見えざる力が働いているかのようである。
その翌日の16日午後11時45分、ロナルドが経営するバス会社に犯人からの電話があった。録音されたレスリーの声で、身代金を持ってキッズグローブの電話ボックスに行くように指示された。
この日も警察は失態をやらかした。身代金の紙幣すべての番号を控えるのに手間取って、ロナルドが出発したのは午前1時30分を過ぎてからだった。いくらなんでも遅すぎる。しかも、ロナルドが道を何度も間違えたために、指定の電話ボックスに辿り着いた頃には午前3時を回っていた。更に、彼は電話の裏に貼られたメッセージを見つけるのに手間取って、ここで30分が浪費された。これに関しては犯人も悪い。電話ボックスに行けと云われれば、電話がかかってくるものと思うのが道理である。ようやく見つけたメッセージにはこのように書かれていた。
「エスカーズヌックの 標識まで 道に 沿って 進め ボートホース通りを 進み 遊歩道の 突き当たりを 右折しろ 進入禁止の サービスエリアに 入って 堀を 通り過ぎ ヘッドライトを 点滅させて 懐中電灯の 光を 探せ 懐中電灯の 所に 指示がある 家に 戻り 電話を 待て」
ロナルドは指示されるままにヘッドライトを点滅させたが、懐中電灯の光は遂に見つからなかった。遅すぎたのだ。だってもう午前4時近くだもん。電話があってから4時間も経過している。
実は午前2時30分頃、偶然にも別の車が指示された場所に停まっていた。乗っていたのは事件とは何の関係もないアベックである。中でイチャついていたのだ。犯人は必死で懐中電灯を振れども何の返答もない。
ちくしょう。なんだよ、これ。バカにしてんのかよ。
一人腹を立てた犯人は「もうや〜めた!」と現場を後にし、人質を殺害したのである。彼の気持ちも判らないでもない。警察の対応はあまりにもお粗末である。
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