「強欲犯の犯罪には一種異様な『訳の判らなさ』が漂う」とはコリン・ウィルソンの言葉である。彼は著書『犯罪コレクション』における「強欲」の項目で筆頭にマルタ・マレクを挙げ、その「訳の判らなさ」に呆れている。いったいどうしたら、たった1000ドルのために我が子を殺せるのだろうか? 何らかの狂気が働いていたことはまず間違いないだろう。
史上稀に見る強欲女、マルタ・マレク、旧姓レーヴェンシュタインは1904年にウィーンで生まれた、と書いてはみたが、本当にウィーンで生まれたのかどうかは判らない。捨て子だったのだ。幸いにも拾われて育てられたが、養父母も決して裕福ではなかった。 むしろ貧しかったというべきだろう。15歳になった彼女は洋装店で働き始めた。
決して美人ではないが、愛嬌があった彼女はたちまち店の看板娘となった。やがてモリッツ・フリッチュという金持ちじいさんの目にとまり、そのお妾さんの座に納まる。まさにシンデレラである。1年後、じいさんが74歳で死ぬと、邸宅とかなりの金額の遺贈を受けた。本妻が怒り狂ったのはいうまでもない。
「あの小娘が毒を盛ったのよ!」
こう騒ぎ立て、遺体を掘り起こして再検査すると息巻いたが、
「それじゃ親父があんまりだ」
と息子に止められて断念した次第である。
やがてマルタはエミール・マレクと結婚する。じいさんが死ぬ前から密かに情を通じていた男である。
貧乏人が棚ぼたで金持ちになると異常な浪費を始めるのが世の常である。マルタも例外ではなかった。瞬くうちにじいさんの遺産を使い果たしてしまう。だからと云って、元の倹しい生活に戻る気は毛頭ない。ここでマルタは驚くべき行動に出る。エミールに3万ドルの保険をかけると、その脚に斧を振り降ろしたのである。
愛しい人を不具にしてまで贅沢がしたい。そんなマルタの強欲ぶりには舌を巻くが、それ以上に信じられないのが、素直に脚を差し出した夫のエミールである。完全にマルタの尻に敷かれている。否。それどころか、殆ど傀儡と云ってよいだろう。
ところが、エミールは膝から下を切断するハメになったにも拘わらず、保険金はビタ一文も支払われなかった。「木を伐っていたら過って脚に振り降ろしてしまった」との説明を信じる者は誰もいなかった。なにしろ彼の脚には斧が別の角度から3度も振り降ろされていたのである。どんなにうっかりさんでも手前の脚に斧を3度も振り降ろす者はいないだろう。これに対してマルタは、
「医者が傷口に手を加えたのよ! あたし、見たんだから!」
などと苦し紛れに弁明したが、証人である看護士を買収したのがバレて、4ケ月の実刑を喰らうのであった。愚かなり。
塀の中でマルタが何を学んだのかは知らないが、更正しなかったことだけは確かである。出所後、まもなくエミールが死ぬ。死因は結核とされた。マルタはこのたびはめでたく保険金を受け取った。
1ケ月後には下の娘のインゲボルグが死んだ。マルタはまたしても保険金を受け取った。
やがて養父母の遠縁にあたるスザンヌ・レーヴェンシュタインという老婦人に取り入ると、彼女の身の回りの世話を始めた。ほどなく死亡。マルタはこのたびは保険金と家を手に入れた。
マルタはその家で下宿屋を始めた。やがて間借人のキッテンベルガー夫人が死んだ。マルタは彼女にも保険をかけていた。これを訝しく思った夫人の息子が警察に通報。遺体からはタリウムが検出された。夫のエミール、娘のインゲボルグ、親類のスザンヌおばさん、そして、まだ生きている息子からもタリウムが検出された。
かくしてマルタは4件の殺人で有罪となり、死刑に処された。方法は斧による斬首である。かつて夫の脚に斧を振り降ろした強欲女は、自らの首に斧を振り降ろされたのだ。因果応報とはまさにこのことである。
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