あの人のことではない。あの人に憧れて改名した放火常習犯のことである。
ブルース・リーは1960年7月31日、ジョージ・ピーター・ディンズデイルとしてマンチェスターに生まれた。母親は売春婦だった。父親は誰だか判らない。3歳までは祖母に育てられた。母親に引き取られても、すぐに孤児院に入れられた。その生い立ちはあまりにも悲惨である。
更に不幸なことに、先天的に右手が麻痺しており、癲癇の症状もあった。やがて身体障害者の施設に入れられたが、ここで同性愛者に犯された。検事によれば、
「これが後の非行を決定づけ、逮捕の切っ掛けになったのである」
1979年12月4日、イーストヨークシャーのヘイスティ家が放火され、3人の息子が焼死した。うちの一人で長男のチャールズ・ヘイスティが札付きのワルで、何らかの報復に遭って放火されたのではないかと噂された。
やがてチャールズが同性愛者と付き合っていたとの聞き込みがあった。その線で捜査は進められ、ブルース・リーの名が浮上したというわけである。
犯行の直前に「ブルース・リー」に改名したこの男は、過去11年にも渡る放火の数々を自供した。最初の犯行は9歳の時である。近所のショッピング・アーケードに火をつけたのだ。1973年6月23日には初めて死者が出た。犠牲者はまだ6歳の少年だった。
1977年1月5日には老人ホームに火をつけた。11人も死者が出る大惨事となった。
人に直に火を放つという凄まじいものもある。1974年12月23日、82歳の老夫人が安楽椅子に座ったまま、あたかも人体自然発火現象のような状態で焼死した。夫人はヘビー・スモーカーだったことから煙草が原因かに思われていたが、実はブルース・リーの仕業だった。イタズラして怒られた腹いせに、彼女がうたた寝している隙に灯油をかけて火を放ったのだ。
まったく恐るべきボンクラ超特急である。よりによってブルース・リーに改名したってところが、彼のボンクラぶりに拍車をかけている。
かくして我らがヒーロー、ブルース・リーは合計26人の殺害と放火の容疑で起訴された。しかし、精神障害があるとして、パークレイン特別病棟に収容された。そのために彼の写真は公表されていない。だから、あの人に似ているかどうかは判らない。
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