ジム・ジョーンズ |
若き日のジム・ジョーンズ |
オウム真理教の第7サティアンが強制捜査された時に識者が集団自殺を危惧したのは、人民寺院の事件が念頭にあったからだ。912人もの信者が教祖と共に現世を後にした事件である。ところが、蓋を開ければ、麻原はウンコまみれで隠れていた。ジム・ジョーンズとは格が違うなあ、と呆れてしまった。 |
全盛期のジム・ジョーンズ |
1965年にカリフォルニア州ユキアに拠点を移したジョーンズの言動は次第に過激になって行った。ある時、創世記のカインとアベルの一節を朗読していたジョーンズは突然、聖書を投げ棄てて、聴衆に向って訴えかけた。 |
殺害されたライアン下院議員一行 |
ジョーンズを破滅に導いたのは、皮肉なことに、彼の右腕として人民寺院を成長させてきたティム・ストーンだった。 |
「ホワイト・ナイト」が明けてこの有り様 |
1978年11月14日、マスコミの報道や家族会の要請を受けて、レオ・ライアン下院議員が報道記者たちを従えてジョーンズタウンを視察した。特に目立った問題はなく、事なきを得たかに思われた。ところが、夜になると脱会希望者が記者たちに願い出た。「どうか助けて下さい」と。翌日にそのことをジョーンズに詰め寄ると、彼は酷く傷ついたようだった。 |
参考文献 |
『戦慄のカルト集団』ジェイムズ・J・ボイル著(扶桑社) |